風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

言葉があるから人間 538号

2009年05月10日 02時05分05秒 | 随想
長野市の中学校時代の同期会が開催される案内の往復葉書が到来したので参加の返信葉書を投函する。時は七年に一度の信州善光寺のご開帳である。そして恒例の飯田市の果樹農家の援農は梨の摘果の時期である。合併旅をすることになった。

高速バスで飯田に行き、四日間滞在する。飯田から長野に行き、会に出席、宿泊する。翌日は善光寺を参拝し、近くの城山公園にある信濃美術館の東山魁夷館など訪ね、善光寺大門発の名古屋行き高速バスに乗る4泊5日の旅である。

東岡崎⇒新名古屋の名鉄電車往復きっぷ、名古屋BC⇒高森の高速バスきっぷ、高森⇒長野駅の高速バスきっぷ、善光寺大門⇒名古屋BC間の高速バスきっぷ、長野駅前ビジネスホテル「池紋」の宿泊予約。果樹農家に予定の連絡。

自動販売機で購入する電車の格安きっぷ。パソコンから購入できる高速バスきっぷはプリンターの書類が乗車券。ホテルの予約はインターネット。農家の連絡は電子メール。

一切会話をしないで、終了した。会話の要らない日本が完成した。賞賛されるべきなのだろうか?

言葉を介して他人と接触するから人間である。会話があるから万物の霊長である。唸っているだけなら野獣と同じである。

こんな思いを同級生に日本語を駆使して会話するのを楽しみに長旅をするのであるが、屁理屈は聞きたくないと拒否される可能性が大である。

過去の行状の因果応報の帰結の思いであるが、笑って聞いてくれるなら、友は人間として完成したと想うのである。

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