ゼロとは何か?1とは何か?について。ゼロといい1といい、それは固定したものではなくて、その人次第、条件次第でゼロが1になり、1がゼロになる。こういうと返って混乱させるばかりかもしれないが......ゼロと1とを形而上学的(エンゲルス)には捉えて欲しくない。というよりも形而上学的(エンゲルス)に捉えたのではʍ . . . 本文を読む
近頃、ゼロからの出発、再出発ということの大事性、その意義ようやくに実感することが出来てきた、と思える。 昔々に師から、「何事かを学ぶ、あるいは学び直す場合に、よく1からの出発でなければならないと言われる。しかしながら、それは壮大なる誤解である。 なぜなら、最初は何もないはずなのに、諸君は1があるとしてしまうから、まともな学び、上達ができないのである。 そうではなくて、大事なことはゼロからの出発、 . . . 本文を読む
トマス・アクィナスの真理の二重性の問題。まさに自身の立場と同じ、と実感する。クリニックで働く鍼灸師が必ず突き当たる問題に、医師の診断と(自身の)鍼灸師としての診断が往々にして矛盾するということがある。(これは、東洋医学的となると必ず、ということになってくる)具体的にいえば、「先生に五十肩といわれた」として来る患者の挙上時の肩関節の痛みが、頸椎 . . . 本文を読む
『昭和鍼灸の歳月』(上地栄著 績文堂刊)を読む中で竹山晋一郎先生との出会いがあった。
唯物弁証法による鍼灸・東洋医学の究明、ということを志した方が過去に存在した!ということに、なおかつ、その努力の成果が「経絡治療」の誕生であると知ってなおさらに、驚かされた。
それだけに、どうして竹山晋一郎先生の志を受け継ぐ者が一人も出なかったのか!?竹山先生歿後の経絡 . . . 本文を読む
ロバート・ケネディjr.さんの 「MAHA」 に、自身の手技療法術の志が再認識・再確認された。「MJHA」(日本を再び健康な国に!)を!と痛感された。 次期大統領にトランプさんが選ばれ、アメリカは大きく変わっていく(それと共に世界も、日本も)と思える。 政治的なそれはさておき、次期保険省長官となられるであろうロバ . . . 本文を読む
珈琲焙煎をした。何事も出来る限り原点に返って、と思っている。そして、それが弁証法の学びでもある、と思っている。今日の焙煎豆はイエメンのモカ、コーヒー豆屋さんのおすすめで、深煎りで。コーヒー豆の焙煎をすると言うと凝ってますね。とかマニアですね。という評価をいただくが、それはそうに違いないのだけれども、自身の思いとしては、これもまた弁証法の学びである。なぜならば、弁証法性とは、事物の生成・発展・成熟・ . . . 本文を読む