珈琲焙煎をした。何事も出来る限り原点に返って、と思っている。そして、それが弁証法の学びでもある、と思っている。
今日の焙煎豆はイエメンのモカ、コーヒー豆屋さんのおすすめで、深煎りで。
コーヒー豆の焙煎をすると言うと凝ってますね。とかマニアですね。という評価をいただくが、それはそうに違いないのだけれども、自身の思いとしては、これもまた弁証法の学びである。
なぜならば、弁証法性とは、事物の生成・発展・成熟・衰退・消滅という、日常語で言えば起承転結という運動の、一般性そのものなのであるから、それゆえの、自身で出来るものはできる限り、なるべく原点に遡っての、そこからの生成・発展させていってのを心がけて、である。
料理を作るにせよ、珈琲豆を焙煎するにせよ、自身で事物の生成・発展をその前の段階(いわばゼロ)から作り出せるというのは、神ならぬ身にとって、他では変えれぬ貴重な実践である、とも思っている。