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トマス・アクィナスの真理の二重性の問題。まさに自身の立場と同じ、と実感する。
具体的にいえば、「先生に五十肩といわれた」として来る患者の挙上時の肩関節の痛みが、頸椎への施術で痛みがとれてしまったり、「坐骨神経痛といわれました」として来る患者の下肢への症状が臀部への施術で消えたり......。
これが、自身の治療所であれば、「医者はあてにならんからなあ.......」で、患者からも、「さすが先生!」と称賛され、患者も大喜び、自身も自己承認欲求が満たされて言う事無しなのであるが......。
ところが、これが診療所・クリニック勤務で、医師の下での施術となると話が違ってくる。
患者によっては、医師と違う診断から施術に違和感を覚えたり、治ったことを(喜ぶのはいいとして)医師に対して、「先生とリハビリの先生の言うことが違った。」等と報告しかねない。
そうすると、我々鍼灸師は医師との関係上、面白くないことになりかねない。
それゆえに、当初は、自身の診断の部分は患者には明言しない、ついうっかり言っちゃった場合には、これはお医者さんからしたら違うと思うけど......と言い訳するのを常としていた。
しかしながら、その様な状況は自身の精神衛生上も悪いとの思いがあって、近頃では、お医者さん的診断とリハビリ上の診断は別。お医者さんの言うのはその通りなんだけれど、リハビリ上は、自分の見立ての様に考えないと施術出来ないのだ、と。
例えば、「真理である地動説より天動説の立場に立ったほうが、温室設計には役に立つのと同じこと」とか「手技施術の限界を超えての診断では、仮に、脊柱菅狭窄症が本当であっても、手技施術で狭窄はどうしようもないから、筋肉のハリや骨格の歪みの問題に......」等々と説明するのを常としていた。
それが、これは要するに、トマス・アクィナスの二重真理の問題と同じなのか!?
トマス・アクィナスも教会の権威と自身の学問の信念との間で苦悩したんだろうなあ、と思える様になった、がゆえの、また自身の如くに医師の診断と自身の診断の間で悩んでおられ皆さんのお役に立てば、との思いでのブログ記事である。