O先生の鍼の施術を受けた。上段の位の鍼術との思いした。
昨日、O先生(中医学の最高峰と言っていいかた、と紹介された)のセミナーに参加して、午前中は講義、午後から実際の施術をいただけるということであった。その機会に、「右腰の古傷とそれに伴っての反対側の腰の痛みと両足が冷えやすい」との自身の症状に対しての施術いただいた。
仰臥位で左右の下肢を運動させ、伏臥位で腰部を叩打して、「今はそんなに悪く無い」との診断を下されて、「あえて治療するなら」という感じで、「腎兪、気海兪、大腸兪」加えて「命門、腰陽関」に鍼(10番くらいもあろうかという太い鍼なのに、全く打たれた痛みを感じ無いので、大体の感触でしか無いが……)をブスブスと簡単に1分ほどで打って、10分ほど置鍼して終わり、であった。
自覚的には、右腰の芯にこわばり、重だるさ、右股関節と左腰にも痛みがある。また、両足がかなり冷えやすい。というものであったので、確かに運動や叩打では、軽い違和感程度であったのだが、「?」との思いし、「同じ鍼灸といっても日中では随分と違うなあ〜。これは民族性の違いなのか?自身の如くの繊細な?痛み、違和感は、中国人にとっては問題にならないのか?」「……であるならば、自身よりずっと微妙な違和感を訴えるであろう日本人に対して、実際に日々接する患者はそうである、中国鍼灸、中国医学は有効性を持ちうるのだろうか?」との思いとなった。その時に同時に、O先生の施術に対比する形で昨年末より受けているn先生の施術が想起されていた。
しかしながら……ところが……である。施術後数分すると腰の違和感、痛みが少しましになった感覚があり、次に足が暖かくなって来て、手も、全身も……と、ポカポカと暖まり、それとともに腰の違和感、痛みも次第次第に軽くなって行き、施術後、二時間ほど経った頃には、腰の古傷の違和感、痛みはすっかり取れてしまっていた。
……何かのトリックに騙されているのでは?との思いした。O先生の施術のシンプルさに、宮本武蔵の説く「兵法上・中・下の位を知ること」(『兵法三十五箇条』)ということ想起された。
自身の鍼灸術のイメージは、「中段の位」でしか無かったのだと……「配穴」「針法」「病情変化」「臨床経験」を思い、考えしての施術が大事なことは間違いない、実際に昨日のO先生のセミナーの前半の講義はそうであった、のだが、その先は(現象としては、というべきか?)「上段の位」、つまり、シンプルな施術へと成って行かねばならない、と思える。
自身の古傷の治療をしていただけたという意味でも、自身の鍼灸術の未来像を描かせていただけたという意味でも、昨日のセミナー貴重な学びの機会であったと、O先生と主催いただけたK先生には感謝の気持ちで一杯である。
昨日、O先生(中医学の最高峰と言っていいかた、と紹介された)のセミナーに参加して、午前中は講義、午後から実際の施術をいただけるということであった。その機会に、「右腰の古傷とそれに伴っての反対側の腰の痛みと両足が冷えやすい」との自身の症状に対しての施術いただいた。
仰臥位で左右の下肢を運動させ、伏臥位で腰部を叩打して、「今はそんなに悪く無い」との診断を下されて、「あえて治療するなら」という感じで、「腎兪、気海兪、大腸兪」加えて「命門、腰陽関」に鍼(10番くらいもあろうかという太い鍼なのに、全く打たれた痛みを感じ無いので、大体の感触でしか無いが……)をブスブスと簡単に1分ほどで打って、10分ほど置鍼して終わり、であった。
自覚的には、右腰の芯にこわばり、重だるさ、右股関節と左腰にも痛みがある。また、両足がかなり冷えやすい。というものであったので、確かに運動や叩打では、軽い違和感程度であったのだが、「?」との思いし、「同じ鍼灸といっても日中では随分と違うなあ〜。これは民族性の違いなのか?自身の如くの繊細な?痛み、違和感は、中国人にとっては問題にならないのか?」「……であるならば、自身よりずっと微妙な違和感を訴えるであろう日本人に対して、実際に日々接する患者はそうである、中国鍼灸、中国医学は有効性を持ちうるのだろうか?」との思いとなった。その時に同時に、O先生の施術に対比する形で昨年末より受けているn先生の施術が想起されていた。
しかしながら……ところが……である。施術後数分すると腰の違和感、痛みが少しましになった感覚があり、次に足が暖かくなって来て、手も、全身も……と、ポカポカと暖まり、それとともに腰の違和感、痛みも次第次第に軽くなって行き、施術後、二時間ほど経った頃には、腰の古傷の違和感、痛みはすっかり取れてしまっていた。
……何かのトリックに騙されているのでは?との思いした。O先生の施術のシンプルさに、宮本武蔵の説く「兵法上・中・下の位を知ること」(『兵法三十五箇条』)ということ想起された。
自身の鍼灸術のイメージは、「中段の位」でしか無かったのだと……「配穴」「針法」「病情変化」「臨床経験」を思い、考えしての施術が大事なことは間違いない、実際に昨日のO先生のセミナーの前半の講義はそうであった、のだが、その先は(現象としては、というべきか?)「上段の位」、つまり、シンプルな施術へと成って行かねばならない、と思える。
自身の古傷の治療をしていただけたという意味でも、自身の鍼灸術の未来像を描かせていただけたという意味でも、昨日のセミナー貴重な学びの機会であったと、O先生と主催いただけたK先生には感謝の気持ちで一杯である。