クラゲ体としての眠る。ゆらゆらと全身を揺さぶるイメージで実践していたけれども、コリ・コワバリが全身レベルでそれなりに強く、あちこちにとなると、なかなかに解れて行かない。そこで、上体と下体を分けて行うと、ずいぶんとほぐれやすく思えた。
より具体的には、上体あるいは下体を固定での、ゆらゆらという動き。これはクラゲ体というよりも、カイメン体としての、かもしれない。
そう思えて、地面に固着してゆらゆらと揺らされているカイメン体のイメージで行うと、クラゲ体のイメージで全体として揺さぶる、では解れなかったものが解れていく、と思えた。
ここでもやはり、しっかりと<生命の歴史>を、順を追って繰り返すことが......と。
さて、年内の宿題である「人間はいかに運動すべきか」。ここ何回かのブログ記事を読み返すと、「四足体と二足体の乖離をつなぐものが「股関節重心」である。」「人間は四足体を直接に二足体として使っているという矛盾があるから、動物と違って様々な故障を持つのがある意味、必然性である。」等々と同じことを、あれこれといろんな角度から繰り返しているのみ、と思えなくもない。
朝の1〜2時間で原稿を書いて、ブログを更新して、であるので、ある意味仕方がないとの言い訳もないではないが、幸い、年末年始はある程度時間も取れるので、心を落ち着けて、自身のアタマの中の映像をしっかりと見て、その中身を自身の(実践の)事実で説いていきたい。
イメージとしては、「絶対精神の自己運動」としての人間の運動体の生成発展あるいは、膝痛等の病の生成発展であろうか。