卒業研究について、その構想が二転三転して現在に至っている。そこで、原点を、そして原点から現在までを概観しておきたい。
鍼灸専門学校であっても卒業研究なるものがあると知ったのはほぼ一年近く前であった、と思う。自身の研究論文のイメージは、例えば、菅野幸子先生の学位論文、『日本医療の原典に見る「東洋医学」と史料に基づく古代「西洋医学」との比較文化史的研究』であるので、自身の鍼灸専門学校の学びの総括の千載一遇の機会ととらえて全力を尽くして!との思いとともに、果たして自身にそんなレベルの研究が可能なのだろうか!?との思いともなったが、それからあれこれ考えた結果の最初の構想がブログ記事、「卒業研究について〜人類の精神の歴史から視る東洋医学〜」であった。
端的には、東洋医学というものを東洋医学からのみ視るという狭い視野では、その本来の姿、成否というものは視えてこないのではないか?そうではなくて、西洋医学をも含む医学の歴史、それだけでも無く、東洋哲学をも含む哲学の、人類の精神の発展、歴史から、東洋医学というものを視ていくべきなのでは無いか。という思いからの卒業研究の構想であった。ここの自身の発想の原点は、『看護のための「生命の歴史」の物語』(現代社白鳳選書)で、爬虫類の意義を生命の歴史から説いてある、ことにある。(より具体的な形では、ブログ記事に書いているので、興味のあるかたは……)
しかしながら、担当教員に相談したところ、端的には、卒業研究というには問題が大き過ぎるということから、かつ卒業研究はグループ研究になるということからも却下され、卒業研究の課題について再考した。
その結果として思ったことは、「卒業研究がグループ研究ということになるのならば、人類の精神の歴史から……ということは、問題にもならないであろう……であるならば題材は何であれ、それを統計学的に研究することで統計学というものを自身の実力とすることを、卒業研究の課題としよう……何せ、『統計学という名の魔法の杖』で、統計学というものは、現代の医療分野の研究においては必要不可欠なものとなっている。と説かれているのだから、鍼灸も医療分野の一つであるのだから……」というようなことであった。
以上のごとくの思いで卒業研究は始まり、「統計学的に耳鍼の効果を検証する」こととなった。(つづく)
鍼灸専門学校であっても卒業研究なるものがあると知ったのはほぼ一年近く前であった、と思う。自身の研究論文のイメージは、例えば、菅野幸子先生の学位論文、『日本医療の原典に見る「東洋医学」と史料に基づく古代「西洋医学」との比較文化史的研究』であるので、自身の鍼灸専門学校の学びの総括の千載一遇の機会ととらえて全力を尽くして!との思いとともに、果たして自身にそんなレベルの研究が可能なのだろうか!?との思いともなったが、それからあれこれ考えた結果の最初の構想がブログ記事、「卒業研究について〜人類の精神の歴史から視る東洋医学〜」であった。
端的には、東洋医学というものを東洋医学からのみ視るという狭い視野では、その本来の姿、成否というものは視えてこないのではないか?そうではなくて、西洋医学をも含む医学の歴史、それだけでも無く、東洋哲学をも含む哲学の、人類の精神の発展、歴史から、東洋医学というものを視ていくべきなのでは無いか。という思いからの卒業研究の構想であった。ここの自身の発想の原点は、『看護のための「生命の歴史」の物語』(現代社白鳳選書)で、爬虫類の意義を生命の歴史から説いてある、ことにある。(より具体的な形では、ブログ記事に書いているので、興味のあるかたは……)
しかしながら、担当教員に相談したところ、端的には、卒業研究というには問題が大き過ぎるということから、かつ卒業研究はグループ研究になるということからも却下され、卒業研究の課題について再考した。
その結果として思ったことは、「卒業研究がグループ研究ということになるのならば、人類の精神の歴史から……ということは、問題にもならないであろう……であるならば題材は何であれ、それを統計学的に研究することで統計学というものを自身の実力とすることを、卒業研究の課題としよう……何せ、『統計学という名の魔法の杖』で、統計学というものは、現代の医療分野の研究においては必要不可欠なものとなっている。と説かれているのだから、鍼灸も医療分野の一つであるのだから……」というようなことであった。
以上のごとくの思いで卒業研究は始まり、「統計学的に耳鍼の効果を検証する」こととなった。(つづく)
【そもそも、鍼灸学校の三年間で学びもせず、興味を持つでも無かった「耳鍼」を、卒業研究のテーマとしようとするのが意味不明、ということはさておくとして。(自身の卒業研究では無しに、学校都合のグループ研究ということからの......)
他人(鍼灸の世界の人々)との認識の交流ということの難しさを痛感させられた、ことであった。(結果として、自身は、現実の鍼灸の世界とは、とても折り合いをつけて行けそうにないということを分からせてくれたのだが......)
それでも、自身の裏テーマとしての、統計学の学びを行えたことは、有意義であったとも思う。(おかげで、今回の(コロナ)ワクチンに関わる薬害から免れることが出来た、という意味でも)
今であれば、もう少し違った形で出来るのだろうか?】