細胞膜の選択的透過性について学んだ。全てに筋を通して考えることの大事さ痛感する。
昨日の夏季集中講義で、細胞膜には選択的透過性があり、物質は物理的に小さくなって行って、例えばカリウムが分解されて行ってカリウムイオンというところまで分解されてはじめて細胞膜を通過することができる。と説かれた。
説かれた細胞膜の選択的透過性について、大きく二つの疑問を持った。
一つは、消化の過程が物理的でなく化学的であるという事から、細胞膜の選択的透過性とは、単に大きいから通さない小さいから通すという問題では無いのでは?ということであり、物理的に小さくなれば細胞膜を通過するというのならば、生命体はわざわざ消化腺を創り出してまで、消化=化学的な分解をする必要が無いのでは?との疑問。
もう一つは、細胞膜を単なる物質の膜と同次元のものと捉えるべきではないのでは?ということ。
細胞膜は生命体が自身と地球とを相対的独立のものとして区切るために創り出した器官であり、生命体そのものであるから、単に物質が大きいから通さない小さいから通すという次元の物としての膜では無く、自身にとって必要なものと不必要なものとを区別して取り入れる生命体そのものとしての膜と考えるべきではと思える。
そう考えると、物質が物理的に小さくなれば細胞膜を通過するという説明に違和感感じる。
以上を要するに、消化という細胞膜の通過に至る過程を細胞膜の半透過性に絡めて考える。そもそも細胞膜とはと考える。つまりは全体に筋を通して考えることが必要なのではということ。
昨日の夏季集中講義で、細胞膜には選択的透過性があり、物質は物理的に小さくなって行って、例えばカリウムが分解されて行ってカリウムイオンというところまで分解されてはじめて細胞膜を通過することができる。と説かれた。
説かれた細胞膜の選択的透過性について、大きく二つの疑問を持った。
一つは、消化の過程が物理的でなく化学的であるという事から、細胞膜の選択的透過性とは、単に大きいから通さない小さいから通すという問題では無いのでは?ということであり、物理的に小さくなれば細胞膜を通過するというのならば、生命体はわざわざ消化腺を創り出してまで、消化=化学的な分解をする必要が無いのでは?との疑問。
もう一つは、細胞膜を単なる物質の膜と同次元のものと捉えるべきではないのでは?ということ。
細胞膜は生命体が自身と地球とを相対的独立のものとして区切るために創り出した器官であり、生命体そのものであるから、単に物質が大きいから通さない小さいから通すという次元の物としての膜では無く、自身にとって必要なものと不必要なものとを区別して取り入れる生命体そのものとしての膜と考えるべきではと思える。
そう考えると、物質が物理的に小さくなれば細胞膜を通過するという説明に違和感感じる。
以上を要するに、消化という細胞膜の通過に至る過程を細胞膜の半透過性に絡めて考える。そもそも細胞膜とはと考える。つまりは全体に筋を通して考えることが必要なのではということ。