卒業研究について指導教員と対話した。自身の思いを伝えられないことのもどかしさ感じた。
昨日、自身のイメージする卒業研究について、それを行えるようにと指導教員に説明した。端的には、却下されてしまったのであるが、自身の自身の像を言語化する実力の薄さ痛感させられるということになった対話であった。
何よりも、自身の正しいと思っていることを何故正しいのかを説くことの困難性を痛感させられた。例えば、自身では鍼灸東洋医学の検討にはその大元の考えとされている天人合一、陰陽五行等の検討が必須であると思えるのであるが、その必要性を分かってもらう。ということは困難を極めることであった。これは二重の意味でそうであった。
ともかくも、卒業研究の問題は一応の決着をみることとなった。
昨日、自身のイメージする卒業研究について、それを行えるようにと指導教員に説明した。端的には、却下されてしまったのであるが、自身の自身の像を言語化する実力の薄さ痛感させられるということになった対話であった。
何よりも、自身の正しいと思っていることを何故正しいのかを説くことの困難性を痛感させられた。例えば、自身では鍼灸東洋医学の検討にはその大元の考えとされている天人合一、陰陽五行等の検討が必須であると思えるのであるが、その必要性を分かってもらう。ということは困難を極めることであった。これは二重の意味でそうであった。
ともかくも、卒業研究の問題は一応の決着をみることとなった。