職場の忘年会に参加した。食と運動は合わせて1つとの思いがする。
昨夜は、職場の忘年会であった。例年、焼肉等の(自身にとっては)体調を崩しかねない食+またこれも、(自身にとっては)体調を崩しかねない夜遅くまでの2次会になってしまうのが通常であるので、例年はできる限り遠慮させていただいている。
しかしながら、今年は2月からの「股関節重心」の訓練の結果としての諸々の調子の良さから、年に1〜2度牛肉を食べるのも(江戸時代で言うところの薬食いであるから)問題がないだろうと、それほどの体調の崩れはないであろうとの思いがあっての、参加であった。
また、「食」は、<生命の歴史>を丸ごと食べるべきである、という意味では、少しくらいの体調の崩れがあるとしても、通常食べることのない牛肉(哺乳類)もたまには食べるべきであろう、との思いから、その実験という意味での、でもあった。
しかしながら、忘年会会場となったお店の売りのA5和牛フルコースは、牛肉というよりは牛脂を食べているかと思うほどのサシが入った肉であり、食べている時から胃にもたれ、忘年会後には吐きそうになるほどのもの、であった。
それのみならず、夜には、春頃からステロイド等に頼らず止まっていた「喘息発作」も(軽くではあったが)出て、牛肉は食べてもサシの入らない赤身肉まで(夏にはもも肉のレアステーキを80g食べて何の問題もなかった)との思いとなった。
これらは要するに、体調の整え(病からの回復過程を含めて)は、運動の整えだけではだめであり、食の整えとともにでなければならないのだ、と捉え返せた。
また、「股関節重心」を指導した患者の回復が自身程、劇的ではないのは、運動体の整え= 「股関節重心」の訓練ということが中途半端であるから、だけではなしに、食の整えということがまともになされないからでもあるからか!?との思いともなった。
それに加えて、これまで思っていたごとくに、食・運動・睡眠というものの整えは、それらを平面的に3つ並べて、「食」と「運動」と「睡眠」として良いものではなしに、それら三者は、「睡眠」ということに支えられての、「運動」と「食」である以上(睡眠を「単細胞生命体」の時代の繰り返しとして捉えるということは、論理的には、要するにそういうことである、筈である)、睡眠の整えということがあっての運動と食の整えという捉えら方をした上での、それらを三位一体としての、全てを整えていくということでなければならないのだ、ということに思い至った。
図示すれば
上図ごとくとなる。
上図ごとくとなる。
ここは、自身の思いが未だにモヤモヤ不明瞭なものであるので、うまくアタマの中の映像を文章化することができないけれども、もう少し深めていって改めて時と思う。