MJHA(日本を再び健康な国に)〜東洋医学の実践的理論研究~

MJHA(日本を再び健康な国に)という志で、食・運動(姿勢)・休息(睡眠)に関わる問題等を論理的に説きます。

卒業研究終了(2)〜文章、上・中・下の位を知ること〜

2017-03-14 12:02:50 | 卒業研究(耳鍼,統計学)
卒業研究の「目的」を書いた。自身の文章力すなわちアタマの働きの実力を視ることが出来たと思う。

昨日は卒業研究の「目的」をブログにアップした、続いて本日「考察」をアップして、卒業研究について書くことは終わる(ブログでは)予定であったが、ブログにアップした「目的」を見返していると、自身のアタマの中の像を文章化できていない、しきれていないということ感じられ、ブログ記事と自身のアタマの中の像とのギャップを埋めていくように何度か加筆した。結果として、現在ブログにアップされている「目的」は、ほぼ自身のアタマの中の像に近いものへとなっている。

しかしながら、その、ブログでの「目的」と実際の卒業研究での「目的」とを比較して見ていると、最初はブログでの「目的」を、「我ながら、よく書けたなあ〜!」自画自賛していたものの、次第次第に「?」から「何かがおかしい、不足しているのではないか?」と思う、思えるようになっていった。

その「何か」とは、宮本武蔵の説く「兵法、上・中・下の位を知ること」の中身であり、文章を術としてみてのレベルの問題である。端的には、ブログにアップした「目的」は当初の「目的」よりも、自身のアタマの中の像に近づいていた、構造的には、より構造的、弁証法的に複雑化されているのではあるが、そのことを、術の問題として考えた時に、そのまま、文章のレベルアップ、ひいてはアタマの働きのレベルアップとしてしまっていいのだろうか?否、そうではないのでは!?ということであり、文章のレベルアップ、アタマのレベルアップの一過程としては、そのことは必要であっても、文章の究極、アタマの働きの究極は、そこに尽きるものでは無いのでは?と思えたことである。

あえていえば、文章の術としての究極の形は、南郷先生が、アリストテレス、ヘーゲル、そしてご自身の文章について、述べられている「文章の背後に背後霊として弁証法がある」というものでは無いのかと思える。弁証法的にいえば<否定の否定>であるのでは……。詳細には、自身の実力の向上とともに改めて、と思う。

最後に、当初の卒業研究のために書いた「目的」はどのようなものか?と興味を持たれるかたもおられるかもしれないので、アップしておきたい。

卒業研究のために書いた「目的」

現在、日本社会において肥満とそれにともなう病は大きな社会問題となっており、その対処が切実な問題として求められている。それは、食の問題であり、運動の問題であり、それらにもまして食と運動のアンバランスの問題でもある、と理論的には解明されている筈である。にもかかわらず、現実的には、TVや雑誌のダイエット情報の氾濫に視るごとくに、確固たる解決方法は未だ無い、と思える。

本研究は、そのような問題である肥満とそれにともなう病の「耳鍼」の効果である、先行研究に見られる「『耳鍼』には、標準体重を上回ったものは体重が減少し、標準体重を下回ったものは体重が増加するという形での、標準体重に戻そうとする身体の機能を働かせる効果があるのではないか?」ということの成否の検証を目的とした。


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