(陰陽論とその学び方についての生徒と先生の対話)
生徒)陰陽論とは何でしょうか?それはどのように学べば良いのでしょうか?
先生)君はどう思うのか?
生徒)世界のあらゆる物事を、陰(静的なもの、弱いもの......)と陽(動的なもの、強いもの......)とに分けて行く、分けて捉える。のが陰陽論で、その学びは、まずは教科書等にある陰陽分類の一覧表を覚えて、陰と陽のイメージを描いて、あとは実際の物事で、これは陽、これは陰と考えて見ることで身について行くのでは、と思っているのですが......。
先生)ふ〜〜ん。初心者ならそれでいいんじゃあないのかな。これは陰、これは陽だけではなくて、一つの物事の中にも陰と陽の二重性がある、とも捉えた方がいいとは思うけれども。何がわからないのか?
生徒)はい。そうやって、世界の、人間の物事を陰陽に分けて行くことが出来るようになったとして、例えば、「昼と夜はどちらが陰でどちらが陽か」ということに「昼が陽で夜が陰」と答えられるようになったとして、それに何の意味があるのでしょうか?また、何よりもそれが鍼灸にどう役立つのでしょうか?
先生)そういうことですか......陰陽論が何の役に立つのか、立たせるべきなのかを本当に知るためには、陰陽論の原点に立ち返って陰陽論は何のために誕生させられたのかを考えてみる必要がある。その辺りのことを『旧 東洋医学概論』では、それなりに説かれてあったが...(『新 東洋医学概論』ではあまり説かれていないようの思える。これは『新 東洋医学概論』が中医の教科書の翻訳であると言われていることにも関わると思えるのだが、端的には『旧 東洋医学概論』では、科学万能の時代、社会である現代日本に鍼灸を学ぶ生徒にあっては東洋医学を非科学的なもの=迷信の類としてしまいかねないことを憂いての執筆であるだけに、陰陽論や五行説等を説くにしても、どのようにしてそれらが誕生させられていったのかを説くこと(弁証法的!)で、生徒が東洋医学を受け入れていってくれることを願っての、となっているのに対して、『新 東洋医学概論』ではそのネタ本が中医の教科書であるだけに、中国の(古代)思想である陰陽論や五行説等を説くにしても、疑う余地のない当たり前のこととして説いていくだけに、それを詳細に説くことはあっても、その成立の過程にまで立ち入ることが無いのだと思える。
この新旧の説かれ方の違いは、日本人が理論というものに関わっては、真面目に一つの筋を通して行こうとするのに対して、中国人は使ってみて使えるものは使って、使えないものは無視するという二刀流を平気で行なえる精神性を持っていることにもよるのだとも思えるが......)...。
『旧 東洋医学概論』には、陰陽論・五行説あるいは天人合一思想等の古代中国の思想が、どのように誕生させられたのかのヒントが説かれてあるので手に入るならば読んでみると面白いと思うが、簡単には、古代中国という時代・社会の人類が、まずは農耕のために自然の(やがては社会の.....)構造に分入って、分け入るために誕生させた、させられていったものが、陰陽論(や五行説)というものである。(ここは、ほぼ1年前のブログで描いているので興味のある方は......)から、端的には、陰陽論は対象の構造に分け入る術であると思って良い。
次に、それが鍼灸にどう役に立つのか、といえば......「鍼灸とは経絡の虚実を補瀉するだけである」との金言があるが、虚実も陰陽であれば補瀉も陰陽なのだから、陰陽論が分からなければ対象を陰陽の二重性で捉える実力がなければ、トリガーポイントでの鍼灸は出来ても伝統的な鍼灸は出来ない、ということになってしまう。
現在、君達がやっている「太陽は陽で月は陰、上は陽で下は陰、府は陽で蔵は陰......」というのは、陰陽論の学びの本当の初心者向けの内容であり、数学で言えば、数学以前の算数の「一たす一は二」と同じことである。だから陰陽論の学びもやがては算数から数学へと、究極には自身で陰陽論で対象の構造へと分入っていく実力へとなっていかねばならないし、そのためにはアタマの働きそのものが陰陽論へとなっていくように学ばねばならない。(ここは、南郷先生が説かれる弁証法の学び方をイメージしている。例えば、『夢講義(2)』の第一編、第二章「弁証法の学びかたを説く」を参照いただければと思う。)
生徒)???そんな話は初めて聞きました。国家試験にそんなことが必要なのでしょうか?
先生)???国家試験?それが最終目標ならば教科書にある陰陽分類の一覧表を覚えればいいと思うよ。うん。
生徒)はあ......。
生徒)陰陽論とは何でしょうか?それはどのように学べば良いのでしょうか?
先生)君はどう思うのか?
生徒)世界のあらゆる物事を、陰(静的なもの、弱いもの......)と陽(動的なもの、強いもの......)とに分けて行く、分けて捉える。のが陰陽論で、その学びは、まずは教科書等にある陰陽分類の一覧表を覚えて、陰と陽のイメージを描いて、あとは実際の物事で、これは陽、これは陰と考えて見ることで身について行くのでは、と思っているのですが......。
先生)ふ〜〜ん。初心者ならそれでいいんじゃあないのかな。これは陰、これは陽だけではなくて、一つの物事の中にも陰と陽の二重性がある、とも捉えた方がいいとは思うけれども。何がわからないのか?
生徒)はい。そうやって、世界の、人間の物事を陰陽に分けて行くことが出来るようになったとして、例えば、「昼と夜はどちらが陰でどちらが陽か」ということに「昼が陽で夜が陰」と答えられるようになったとして、それに何の意味があるのでしょうか?また、何よりもそれが鍼灸にどう役立つのでしょうか?
先生)そういうことですか......陰陽論が何の役に立つのか、立たせるべきなのかを本当に知るためには、陰陽論の原点に立ち返って陰陽論は何のために誕生させられたのかを考えてみる必要がある。その辺りのことを『旧 東洋医学概論』では、それなりに説かれてあったが...(『新 東洋医学概論』ではあまり説かれていないようの思える。これは『新 東洋医学概論』が中医の教科書の翻訳であると言われていることにも関わると思えるのだが、端的には『旧 東洋医学概論』では、科学万能の時代、社会である現代日本に鍼灸を学ぶ生徒にあっては東洋医学を非科学的なもの=迷信の類としてしまいかねないことを憂いての執筆であるだけに、陰陽論や五行説等を説くにしても、どのようにしてそれらが誕生させられていったのかを説くこと(弁証法的!)で、生徒が東洋医学を受け入れていってくれることを願っての、となっているのに対して、『新 東洋医学概論』ではそのネタ本が中医の教科書であるだけに、中国の(古代)思想である陰陽論や五行説等を説くにしても、疑う余地のない当たり前のこととして説いていくだけに、それを詳細に説くことはあっても、その成立の過程にまで立ち入ることが無いのだと思える。
この新旧の説かれ方の違いは、日本人が理論というものに関わっては、真面目に一つの筋を通して行こうとするのに対して、中国人は使ってみて使えるものは使って、使えないものは無視するという二刀流を平気で行なえる精神性を持っていることにもよるのだとも思えるが......)...。
『旧 東洋医学概論』には、陰陽論・五行説あるいは天人合一思想等の古代中国の思想が、どのように誕生させられたのかのヒントが説かれてあるので手に入るならば読んでみると面白いと思うが、簡単には、古代中国という時代・社会の人類が、まずは農耕のために自然の(やがては社会の.....)構造に分入って、分け入るために誕生させた、させられていったものが、陰陽論(や五行説)というものである。(ここは、ほぼ1年前のブログで描いているので興味のある方は......)から、端的には、陰陽論は対象の構造に分け入る術であると思って良い。
次に、それが鍼灸にどう役に立つのか、といえば......「鍼灸とは経絡の虚実を補瀉するだけである」との金言があるが、虚実も陰陽であれば補瀉も陰陽なのだから、陰陽論が分からなければ対象を陰陽の二重性で捉える実力がなければ、トリガーポイントでの鍼灸は出来ても伝統的な鍼灸は出来ない、ということになってしまう。
現在、君達がやっている「太陽は陽で月は陰、上は陽で下は陰、府は陽で蔵は陰......」というのは、陰陽論の学びの本当の初心者向けの内容であり、数学で言えば、数学以前の算数の「一たす一は二」と同じことである。だから陰陽論の学びもやがては算数から数学へと、究極には自身で陰陽論で対象の構造へと分入っていく実力へとなっていかねばならないし、そのためにはアタマの働きそのものが陰陽論へとなっていくように学ばねばならない。(ここは、南郷先生が説かれる弁証法の学び方をイメージしている。例えば、『夢講義(2)』の第一編、第二章「弁証法の学びかたを説く」を参照いただければと思う。)
生徒)???そんな話は初めて聞きました。国家試験にそんなことが必要なのでしょうか?
先生)???国家試験?それが最終目標ならば教科書にある陰陽分類の一覧表を覚えればいいと思うよ。うん。
生徒)はあ......。