MJHA(日本を再び健康な国に)〜東洋医学の実践的理論研究~

MJHA(日本を再び健康な国に)という志で、食・運動(姿勢)・休息(睡眠)に関わる問題等を論理的に説きます。

経穴を問う、とは〜問うてはならないものがあるのか?〜

2017-10-12 22:01:10 | 鍼灸理論・東洋医学
経穴を問う上での疑問。問うてはならないものがあるのか?

鍼灸学校では「経穴とは診断点(反応点)であり同時に治療点である。」と教わり、また「経穴は中国四千年?日本千五百年の経験の積み重ねで有効性が確認されたものである。(から正しいのだ)」とも教わる。

しかしながら、自身の実践経験上からは概ね反応点=治療点であるものの、ときには反応点≠治療点、治療点≠反応点ということも無いでは無い。

そのことについての質問を鍼灸学校の教師にしたところいろいろと説明いただき、「反応点であるものの内、治療点ともなる部位が経験的に定まっていったものが所謂、経穴である。」と理解したのであるが、その時に「経穴が反応点=治療点であるということは、鍼灸の大前提である(ので、そこを疑ってはならない)」との言葉があった。

これは以前にも「経絡と臓腑が関連を持っているということは、なぜ正しいといえるのか?、その証明はどのようになされているのか?」と同様の?疑問を持って別の教師に問うた時にも同様に「経絡と臓腑とに関連があるということ(例えば、太陰肺経、陽明大腸経という様に鍼灸の世界の常識として十二経絡のそれぞれに六蔵六腑を対応させるということ)は、鍼灸の大前提であるのでそれを疑ったら鍼灸治療は成立しない(のでそこを疑ってはならない)」と諭された?ことがあった。

確かに鍼灸初心者がそれらのことを疑ってみても、問うてみてもあまり意味がないとも思う。しかしながら、これらの疑問は初心者が当然に持つ疑問である(と自身では思える)から、単なる実践家であるならば「そこを疑っちゃあお終いよ!」と逃げることが可能であっても、教師であるならば、少なくともそれなりの答えをそれが正しいか誤っているかは別として、一般的には答えられねばならない、と思える。(ここは実践的理論家や理論的実践家であるならば、それらを目指すならば当然に……)

別の観点からは、そのような原点に関わる問題を不問に付して、そこから逃げて理論を構築していくから、いつまでたっても……なのである、と思える。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 秋の田圃〜自身の美意識につ... | トップ | 『科学的看護論 第3版』を読... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。