πάντες άνθρωποι του ειδέναι ορέγονται φύσει.(パンテス アントロポイ トー アイデナイ オレゴンタイ フィセイ……すべての、人は、知ること、のぞむ、生れながらに……全ての人間は生れながらにして知ることを欲する)
古典ギリシャ語教室に参加させていただいた。文化の香りに触れ、心躍る思いのひとときであった。約90分の佐藤義尚先生による講義があっという間に終わってしまった、と思えた。
古典ギリシャ語を学びたい、せめて古代ギリシャ哲学の原典を読めるだけの実力を培いたい、との思いがここ数年、特に強くあったので、その思いが叶っての古典ギリシャ語の学びの時間であったので、本当に楽しい時間であった。
講義はギリシャ語のアバウトな歴史から始まり、ギリシャ語のアルファベット?を読むこと書くことを学んだ。
その中で使われたのが、冒頭のアリストテレスの文章である。それ以外にもΔαρειος.(ダレイオス)Χριστος.(クリストス)等々の単なる人名すらが、ギリシャ文字で書かれ、読みを教えていただくと、心躍らせてくれるものであった。
語の変化の複雑さから作文は自身には無理かとも思えるが(動詞の変化は500通り以上あるとのことであった)、読むことは簡単であるし(同じ文字はほぼ同じ読みということであった)、読んでアバウトな意味をとることならば……と思う。古典ギリシャ語の学びに、しっかりと取り組んでいきたいと思う。
古典ギリシャ語教室に参加させていただいた。文化の香りに触れ、心躍る思いのひとときであった。約90分の佐藤義尚先生による講義があっという間に終わってしまった、と思えた。
古典ギリシャ語を学びたい、せめて古代ギリシャ哲学の原典を読めるだけの実力を培いたい、との思いがここ数年、特に強くあったので、その思いが叶っての古典ギリシャ語の学びの時間であったので、本当に楽しい時間であった。
講義はギリシャ語のアバウトな歴史から始まり、ギリシャ語のアルファベット?を読むこと書くことを学んだ。
その中で使われたのが、冒頭のアリストテレスの文章である。それ以外にもΔαρειος.(ダレイオス)Χριστος.(クリストス)等々の単なる人名すらが、ギリシャ文字で書かれ、読みを教えていただくと、心躍らせてくれるものであった。
語の変化の複雑さから作文は自身には無理かとも思えるが(動詞の変化は500通り以上あるとのことであった)、読むことは簡単であるし(同じ文字はほぼ同じ読みということであった)、読んでアバウトな意味をとることならば……と思う。古典ギリシャ語の学びに、しっかりと取り組んでいきたいと思う。