東洋医学の実践的理論研究~人間が病むということの過程的構造からの東洋医学的治療論の研究~

人間が病むということの過程的像から、鍼灸等の問題を説いてみたいと思います。よろしくお願いいたします。

年頭所感〜時という人類の大発明〜

2018-01-02 10:15:38 | 日記
 今年も新しい年を迎えた。一年が終わり、また新たな一年を始められる、ということのありがたさを実感する。

 大晦日に去年一年の日記を見返すことで自身の一年を振り返ってみると、新たなもの、ことが無いではないけれども、同時に同じことの(失敗の)繰り返しをやっていると反省される、端的には、睡眠・食を主とする生活の整えの失敗からの体調の崩れ、である。

 確かに、例えば鍼灸学校の存在が生活過程を乱してしまうということはある(通常、帰宅は午後11時前後であるだけでなく、年に何度かは電車が止まって帰宅が深夜あるいは出来ないということもある)には違い無いが、それにしても同様のことが何度かあるのだから、工夫の余地はあった筈と思える。

 にもかかわらず、同じことの繰り返しというのは、自身の認識がそのように出来上がってしまっている(量質転化してしまっている)のだと思える。そうであるだけに、どこかでその自身の認識を変える(崩す?)必要があるのだと思えるが、現実には……。

 その契機となるのが、することができるのが、この新たな年の始まりである。良いことも悪いことも一区切り付けての新たなスタートとして、新たな認識で挑んでいける、挑んでいくべきなのが、新年なのだ。と思う。

 そのように新年いうものを捉え返してみると、「時」というものは(南郷先生が『学城』の「巻頭言』でかつて説(解)かれたように)人類が誕生させた偉大な発明であると、その存在のありがたさを痛感する。(自身の如くに失敗失敗また失敗の連続で、少しは進歩があるような、という者にとっては……)

 そのことに甘えることなく、今年こそは歴史性をしっかりと持てるように、全力を尽くしたい。
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