「3 自分の強さを発揮して勝ち続けていくと実力が落ちていく」で説かれること、手技の修業においても、忘れてはならないこと、と思う。
詳細は、『武道空手學 概論』の「3 自分の強さを発揮して勝ち続けていくと実力が落ちていく」を読んでいただきたいが、そこに説かれること端的には、「武道、武術の修業(行)としては、弱い相手に簡単に勝ってしまってはならない。それでは自身の実力向上に繋がらない。」ということである。と思う。
これは、自身の問題として捉え返すと、「手技療法、手技療術の修業(行)としては、簡単に治せる患者を簡単に治してしまってはならない。それでは自身の実力向上に繋がらない。」ということだと思う。
例えば、手首の歪みがあっての痛みがある患者への施術。強烈な形で一気に手首の歪みを矯正してしまっては、自身の実力向上に繋がらない。そうでは無くて、痛みを与えない様に柔らかく矯正する工夫。とか、手首の歪みを直接に矯正するのでは無く、経絡経穴への指圧で症状を取る工夫とか。
例えば、普通に指圧すれば解れるコリを、出来るだけ腕力、勢いに頼らないで技力のみで、柔らかく押して解す。等々の、自身の実力を発揮させない形での施術であり、それが自身の実力向上に繋がるのである。と理解した。
また例えば、鍼灸で考えるならば、より刺激量の少ない細い鍼や小さな艾柱による施術であろうか?
詳細は、『武道空手學 概論』の「3 自分の強さを発揮して勝ち続けていくと実力が落ちていく」を読んでいただきたいが、そこに説かれること端的には、「武道、武術の修業(行)としては、弱い相手に簡単に勝ってしまってはならない。それでは自身の実力向上に繋がらない。」ということである。と思う。
これは、自身の問題として捉え返すと、「手技療法、手技療術の修業(行)としては、簡単に治せる患者を簡単に治してしまってはならない。それでは自身の実力向上に繋がらない。」ということだと思う。
例えば、手首の歪みがあっての痛みがある患者への施術。強烈な形で一気に手首の歪みを矯正してしまっては、自身の実力向上に繋がらない。そうでは無くて、痛みを与えない様に柔らかく矯正する工夫。とか、手首の歪みを直接に矯正するのでは無く、経絡経穴への指圧で症状を取る工夫とか。
例えば、普通に指圧すれば解れるコリを、出来るだけ腕力、勢いに頼らないで技力のみで、柔らかく押して解す。等々の、自身の実力を発揮させない形での施術であり、それが自身の実力向上に繋がるのである。と理解した。
また例えば、鍼灸で考えるならば、より刺激量の少ない細い鍼や小さな艾柱による施術であろうか?