「鍼灸・東洋医学学びの総括」が中断したままとなっている。とりあえず、まとまったところから、と思う。
『昭和鍼灸の歳月』を読むことで、現代の鍼灸の過程的構造というものがそれなりにイメージ出来、また竹山晋一郎という弁証法的鍼灸論の構築?を目指した先達の存在を知って、その中身を理解することが自身が鍼灸や東洋医学を論じる上で役に立つのでは、と脱線していた。
その後、確定申告や諸々の雑事から、「鍼灸・東洋医学学びの総括」を再開出来ないまま、これは自身のアタマの働きとしても、現在に至っている。
しかしながら、諸々の雑事は一向に終息へ向かうことなく、これからも当分の間、と思える現状であるが、このままでは「鍼灸・東洋医学学びの総括」を書かぬまま、書けなくなっていく、と思える。
それゆえに、「鍼灸・東洋医学学びの総括」を、ともかくもまとまった部分だけでもブログにアップしていこうとの思いになっている。
不十分なところは、いずれ機会があればと思う。
その正否はべつにして、現在の鍼灸の世界とは違う鍼灸・東洋医学の捉え方もあるのだなあ、ということを知っていただければ......と思う。
『昭和鍼灸の歳月』を読むことで、現代の鍼灸の過程的構造というものがそれなりにイメージ出来、また竹山晋一郎という弁証法的鍼灸論の構築?を目指した先達の存在を知って、その中身を理解することが自身が鍼灸や東洋医学を論じる上で役に立つのでは、と脱線していた。
その後、確定申告や諸々の雑事から、「鍼灸・東洋医学学びの総括」を再開出来ないまま、これは自身のアタマの働きとしても、現在に至っている。
しかしながら、諸々の雑事は一向に終息へ向かうことなく、これからも当分の間、と思える現状であるが、このままでは「鍼灸・東洋医学学びの総括」を書かぬまま、書けなくなっていく、と思える。
それゆえに、「鍼灸・東洋医学学びの総括」を、ともかくもまとまった部分だけでもブログにアップしていこうとの思いになっている。
不十分なところは、いずれ機会があればと思う。
その正否はべつにして、現在の鍼灸の世界とは違う鍼灸・東洋医学の捉え方もあるのだなあ、ということを知っていただければ......と思う。