血の病理と病証、まずは血の生理の復習から。
血は、西洋医学でいう血液を指すが、血については、西洋医学に近いものとして捉えられている部分が多々有る。
血は、脾胃の働きで飲食物から得た「地の陰気」と肺が呼吸によって取り入れた「天の陽気」とが合して生成されたもの(他にも、宗気、衛気、営気、津液が同じ過程で生成される。)である。
また、血は営気と津液から造られる、ともある。
血は血脈中を心の力によって流れ、全身を潤し(津液と共通の働き)、全身の器官の働きを支える。全身を栄養する。
また、血を五臓を主体に考えると、心は、脈を介して血を全身に送り出し、血の循環や拍動に関与し(主血)、肝は、血量を配分、調節し(疏泄・蔵血)、脾は、血の生成に関わって、全身の血量を調節するとともに、営気を介して、血が脈外に漏れないようにしている。(統血)
以上、血の生理。
血の病理には、不足(血虚)と運行失調(血熱、血寒、血瘀)がある。(津液においては、運行失調は滞りであったが、血の場合は、血行の過剰も挙げられている。)
血の不足(血虚)の原因は、飲食物の摂取不足、脾胃の消化吸収能力の低下、情動の乱れによる肝や脾の変調、不節制による消耗過多、病による消耗がある。
病証は、感覚や運動の機能低下。視力減退、目眩、立ち眩み、手足の無力感、心臓の拍動異常、健忘、不眠など。
血の運行失調は、気との関係が密接であり、五臓では、心の拍動、肺の呼吸、肝の疏泄、脾の統血が血行にかかわっている。この他に、脈道の通利、血の寒熱が運行の遅速に影響する。
血の運行失調の内、熱性の変調は、情動の変調や暑・火の邪気。辛味、塩味、肉魚などの味の濃いものを多食することで、血の中に熱が鬱積して発生する。
病証は、出血。発熱、口渇、口、便秘、脈滑数などの熱症状、血液の損耗症状。
寒性の変調は、寒の邪気や寒性の飲食物の過度の摂取による。
病証は、手足の厥冷。血瘀。
血瘀性の変調は、寒性の変調の結果として、あるいは外傷や打撲、捻挫などによる瘀血から生じる。
病証は、疼痛。また、痛みの発生には一定の場所があり、憎悪すると腫瘤を形成する。
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東洋医学における血の捉えかたは。現実の血液にかかわる諸事実が基になっている部分が多いと思える。
「旧・東概」では、「血とは、脈中を流れる赤色の液状物をさしている、」「扁鵲伝には・・・(中略)・・・われわれが経脈と称しているものを血脈と表現している。このことは、東洋医学の萌芽期には、人や動物が多量に出血すると死ぬという経験的事実から、『気』という目に見えないものよりも、具体的な『血』に注目したものと考えられる。」との記述があるが、血は目に見えるものであるだけに、想像で補う必要性も少なく、空想の入り込む余地もあまりなかったのではと思える。
それゆえ、血の病証においては、西洋医学の貧血や大量出血の症状と一致する部分も多いのだと思う。
古代中国では、農耕生活においての怪我による出血の事実や日常的に動物を殺して食べるということからも、血液と人間、動物との関連についての事実は数多く蓄積されたであろうし、「黄帝内経」が成立する時代は、それまでに何度となく戦乱の時代を持って来ているのだから、血を失うことで人間が如何になっていくのか?の事実を無数と言っていいほどに持ってきているはずであるし、そのことに対しての治療も無数に行われて来ているはずであることからも、血にかかわっては事実に基づいての捉えかたが主となっているのではと思う。
但し、陰陽論によって、血に対しての気というものを考えるようになっていって、血の問題として捉えられていたものが、気に配分されていって、現実の血液から乖離していった部分はあるであろうと思える。
血は、西洋医学でいう血液を指すが、血については、西洋医学に近いものとして捉えられている部分が多々有る。
血は、脾胃の働きで飲食物から得た「地の陰気」と肺が呼吸によって取り入れた「天の陽気」とが合して生成されたもの(他にも、宗気、衛気、営気、津液が同じ過程で生成される。)である。
また、血は営気と津液から造られる、ともある。
血は血脈中を心の力によって流れ、全身を潤し(津液と共通の働き)、全身の器官の働きを支える。全身を栄養する。
また、血を五臓を主体に考えると、心は、脈を介して血を全身に送り出し、血の循環や拍動に関与し(主血)、肝は、血量を配分、調節し(疏泄・蔵血)、脾は、血の生成に関わって、全身の血量を調節するとともに、営気を介して、血が脈外に漏れないようにしている。(統血)
以上、血の生理。
血の病理には、不足(血虚)と運行失調(血熱、血寒、血瘀)がある。(津液においては、運行失調は滞りであったが、血の場合は、血行の過剰も挙げられている。)
血の不足(血虚)の原因は、飲食物の摂取不足、脾胃の消化吸収能力の低下、情動の乱れによる肝や脾の変調、不節制による消耗過多、病による消耗がある。
病証は、感覚や運動の機能低下。視力減退、目眩、立ち眩み、手足の無力感、心臓の拍動異常、健忘、不眠など。
血の運行失調は、気との関係が密接であり、五臓では、心の拍動、肺の呼吸、肝の疏泄、脾の統血が血行にかかわっている。この他に、脈道の通利、血の寒熱が運行の遅速に影響する。
血の運行失調の内、熱性の変調は、情動の変調や暑・火の邪気。辛味、塩味、肉魚などの味の濃いものを多食することで、血の中に熱が鬱積して発生する。
病証は、出血。発熱、口渇、口、便秘、脈滑数などの熱症状、血液の損耗症状。
寒性の変調は、寒の邪気や寒性の飲食物の過度の摂取による。
病証は、手足の厥冷。血瘀。
血瘀性の変調は、寒性の変調の結果として、あるいは外傷や打撲、捻挫などによる瘀血から生じる。
病証は、疼痛。また、痛みの発生には一定の場所があり、憎悪すると腫瘤を形成する。
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東洋医学における血の捉えかたは。現実の血液にかかわる諸事実が基になっている部分が多いと思える。
「旧・東概」では、「血とは、脈中を流れる赤色の液状物をさしている、」「扁鵲伝には・・・(中略)・・・われわれが経脈と称しているものを血脈と表現している。このことは、東洋医学の萌芽期には、人や動物が多量に出血すると死ぬという経験的事実から、『気』という目に見えないものよりも、具体的な『血』に注目したものと考えられる。」との記述があるが、血は目に見えるものであるだけに、想像で補う必要性も少なく、空想の入り込む余地もあまりなかったのではと思える。
それゆえ、血の病証においては、西洋医学の貧血や大量出血の症状と一致する部分も多いのだと思う。
古代中国では、農耕生活においての怪我による出血の事実や日常的に動物を殺して食べるということからも、血液と人間、動物との関連についての事実は数多く蓄積されたであろうし、「黄帝内経」が成立する時代は、それまでに何度となく戦乱の時代を持って来ているのだから、血を失うことで人間が如何になっていくのか?の事実を無数と言っていいほどに持ってきているはずであるし、そのことに対しての治療も無数に行われて来ているはずであることからも、血にかかわっては事実に基づいての捉えかたが主となっているのではと思う。
但し、陰陽論によって、血に対しての気というものを考えるようになっていって、血の問題として捉えられていたものが、気に配分されていって、現実の血液から乖離していった部分はあるであろうと思える。