「陰陽五行論」の成否を問うことは現代において鍼灸の学びを行なう上で、どうしても必要なことと思える。
現代において、『陰陽五行論』に対する態度には大きく二つある。一つは、非科学的な迷信の類であるとする否定的な意見。もう一つは、『陰陽五行論』こそが、鍼灸の診断・治療の導きの灯であるとする前者とは正反対の意見。そのどちらが正しいのか?どちらが間違っているのか?
現代における常識的見解は前者の『陰陽五行論』は非科学的な迷信とするものである。
この見解は鍼灸にかかわる誰もが『陰陽五行論』とは何か?そしてそれを鍼灸の診断・治療に使って良い根拠はどこにあるかを科学的=事実的・論理的に説けないという現実から、せいぜいが役に立つから正しいのだ!と強弁するしか無い現実から、それなりの正当性を持つものと思える。
また、『陰陽五行論』を実際の鍼灸の診断・治療に役立てられている鍼灸師が殆どいない現実から考えても、である。
その一方で、例えば『東洋医学概論』の教科書では『陰陽五行論』は、鍼灸にとって無くてはならないものとしてその重要性が強調され、それなりのページ数をさいて解説されている。また、昔々の鍼灸師には『陰陽五行論』をしっかり役立てて診断・治療を行なったと称する人も居るようである。これは『陰陽五行論』の生まれ育った中国ではもちろん、日本においてもである。
本当は、どちらの見解が正しいのだろうか?『陰陽五行論』が役立たずの現実を持っているのは『陰陽五行論』に問題があるのだろうか?それとも、昔々に役に立ったであろう『陰陽五行論』を役に立てられない現在の鍼灸師の側に問題があるのだろうか?
それを知るには『陰陽五行論』の歴史を簡単にでも繙いてみる必要性があると思われる。
端的には、そもそも何のために『陰陽五行論』は誕生させられたのか?そしてその後、どのように発展していったのか、そしてどのように衰退しての現在があるのか?と。
まだまだその学びの途上ではあるが、それなりに様々な資料に当たってみての現在、『陰陽五行論』とは、古代中国の人々にとっての<弁証法>(鍼灸の世界の人々にとっては弁証法はなじみが無いと思われるので、うっかりすると弁証論治と勘違いされかねないので、ここはいずれ説く必要がある。)なのではないかと思える。(これは現在はまだ、しっかりと事実的・論理的には説明出来ない直感レベルでしかないのであるが・・・・・。)
そうであれば我々は『陰陽五行論』を、非科学的迷信として捨て去るのではなく、昔から伝わっているものをそのままにしておくのでも無くて、現実に役に立つ、立てられるものとして再生・発展させて行かねばならない。
ここを事実的・論理的に説(解)くには、現在の自身の実力は大きく不足しているのであるが、『陰陽五行論』を再生・発展させて行かねばならないということだけは、しっかりと志としておく必要があると思われる
現代において、『陰陽五行論』に対する態度には大きく二つある。一つは、非科学的な迷信の類であるとする否定的な意見。もう一つは、『陰陽五行論』こそが、鍼灸の診断・治療の導きの灯であるとする前者とは正反対の意見。そのどちらが正しいのか?どちらが間違っているのか?
現代における常識的見解は前者の『陰陽五行論』は非科学的な迷信とするものである。
この見解は鍼灸にかかわる誰もが『陰陽五行論』とは何か?そしてそれを鍼灸の診断・治療に使って良い根拠はどこにあるかを科学的=事実的・論理的に説けないという現実から、せいぜいが役に立つから正しいのだ!と強弁するしか無い現実から、それなりの正当性を持つものと思える。
また、『陰陽五行論』を実際の鍼灸の診断・治療に役立てられている鍼灸師が殆どいない現実から考えても、である。
その一方で、例えば『東洋医学概論』の教科書では『陰陽五行論』は、鍼灸にとって無くてはならないものとしてその重要性が強調され、それなりのページ数をさいて解説されている。また、昔々の鍼灸師には『陰陽五行論』をしっかり役立てて診断・治療を行なったと称する人も居るようである。これは『陰陽五行論』の生まれ育った中国ではもちろん、日本においてもである。
本当は、どちらの見解が正しいのだろうか?『陰陽五行論』が役立たずの現実を持っているのは『陰陽五行論』に問題があるのだろうか?それとも、昔々に役に立ったであろう『陰陽五行論』を役に立てられない現在の鍼灸師の側に問題があるのだろうか?
それを知るには『陰陽五行論』の歴史を簡単にでも繙いてみる必要性があると思われる。
端的には、そもそも何のために『陰陽五行論』は誕生させられたのか?そしてその後、どのように発展していったのか、そしてどのように衰退しての現在があるのか?と。
まだまだその学びの途上ではあるが、それなりに様々な資料に当たってみての現在、『陰陽五行論』とは、古代中国の人々にとっての<弁証法>(鍼灸の世界の人々にとっては弁証法はなじみが無いと思われるので、うっかりすると弁証論治と勘違いされかねないので、ここはいずれ説く必要がある。)なのではないかと思える。(これは現在はまだ、しっかりと事実的・論理的には説明出来ない直感レベルでしかないのであるが・・・・・。)
そうであれば我々は『陰陽五行論』を、非科学的迷信として捨て去るのではなく、昔から伝わっているものをそのままにしておくのでも無くて、現実に役に立つ、立てられるものとして再生・発展させて行かねばならない。
ここを事実的・論理的に説(解)くには、現在の自身の実力は大きく不足しているのであるが、『陰陽五行論』を再生・発展させて行かねばならないということだけは、しっかりと志としておく必要があると思われる