MJHA(日本を再び健康な国に)〜東洋医学の実践的理論研究~

MJHA(日本を再び健康な国に)という志で、食・運動(姿勢)・休息(睡眠)に関わる問題等を論理的に説きます。

『医学原論(上巻)』を読んだ〜難解の二重性について〜

2017-12-30 21:42:25 | 看護学・医学
 『医学原論(上巻)』(瀬江千史著 現代社)を読み終えた。難解というものにも二つがあるのだということ実感された。

 昨日から仕事が年末年始の休みに入ったので、本日は読みかけになっていた『医学原論(上巻)』を一気に読み終えた。当初の、読み出す時点での自身の思いは、『医学原論(上巻)』という厳しい書名からも、難解な論理・理論が説かれるのであろうとの、相当以上に身構えての、であった。
 
 しかしながら、読み出してみると、そこに説かれていくことは、自身がわかりたくてわからないこと、例えば病気にかかわる膨大な知識(医学生の学びには到底及ばないが、鍼灸学生が学ぶ病気にかかわる知識の量も総論の教科書が294ページ、各論の教科書が345ページと自身にとっては膨大と言っていい量がある)をいかに学んでいけば良いのかとか、学校で学んでもわからず(そもそも担当の教員が腎臓病は苦手と……)教科書を読み返しても何のことかさっぱりわからずで自身を途方に暮れさせていた「腎臓病」の問題、をしっかりと読んでいけばわかっていけるという意味での、易しく説いてくれるものであった。モヤモヤしていたものが、スッキリと晴れた、との思いで読み終えた。

 詳細は『医学原論(上巻)』を読んでいただければ、と思うが端的には、『医学原論(上巻)』には、難解な論理が説かれることはあっても、その説かれ方は論理的で、整序されたものであり、決して様々なレベルの問題をゴチャまぜにして、雑然と並べただけのものでは無い(本当は、このゴチャゴチャに並んだものを整序して見て取るということも論理的実力なのだとは思うが)、それゆえに、難解と思われる部分に関しても自身の事実で考えながら(思い浮かべながら?)何度か読み返すならば、おおよそこんなことであろう、自身の事実で言えばこういうことであろうと納得していけるものであった。

 それに対して、例えば学校の教科書は論理性が薄い(無い?)、ここは是非に鍼灸学校の教科書である『臨床医学各論』(医道の日本社)の「第5章 腎・尿器疾患」での腎臓病の説きかたと『医学原論(上巻)』の「第二編 医学体系構築の過程的構造」での腎臓病の説きかたを読み比べていただきたいもの、と思う。(そうすれば自身の言わんとするところも納得レベルでわかっていただけるもの、と思う。(では、東洋医学の難解はどちらのなのだろうか?とも……)

『医学原論(上巻)』については、(自身のみならず鍼灸・東洋医学の世界が)学ぶべきこと、それゆえにブログで取り上げて論じたいことが山ほどある、との思いがある。

しかしながら、今年も残すところあと僅かである、来年以降の宿題としたい。
 
鍼灸学校で学ぶ病気の知識も年々増えて行き、その扱いには苦労させられている。

その上に、例えば腫瘍マーカーを覚えることに、SCCは子宮頸癌の腫瘍マーカーで子宮体癌の腫瘍マーカーでは無い(子宮体癌ではCA19-9,CA50,CA125)というようなことを覚えることを求められるのだが、そのことを覚えるのに時間と労力を費やすのに何の意味があるのか......と。
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