猫の百会は背中にあると教わった。経絡経穴とは何かと改めて考えた。
昨日の経絡経穴概論。百会の解説で、「百会とは陽中の陽である。」それゆえ人間では頭の天辺にあるが、四足の動物の百会は、背中の一番高い位置にある。猫の百会は前肢の上あたりの背中の一番高い位置に、牛の百会は後肢の上あたりの背中の一番高い位置にある。と教わった。
確かに、「百会は陽中の陽」という理屈で行けば、なるほど!と納得するところなのではある。
しかし、である。そもそも動物に経絡経穴なるものがあるのか?ということが問題である。と思う。
仮に、鍼灸治療を施して効果のある部位があったとしても、それを人間の経絡経穴と同じとしてしまっていいのか?とも思う。
それ以上に、そもそも経絡経穴とは何か?が無くては、これらの問いも出て来てはいけない。と思う。
単純に素人レベルで考えても、四足体=動物体は、生命の歴史の中で、その生命体の運動のありかたに見合う進化を遂げた身体を持っている生命体である。
それに対して、人間は、四足体を二足体へと創り変えていったとはいえ、進化レベルでのつくり変えではなく、いってみれば、四足体を無理矢理に?二足体として使っているものである。(解剖的には人間と猿の身体はほとんど同じである。自身の知る範囲では、例えば、内返しを止めるための第三腓骨筋が唯一人間特有の筋肉として思い浮かぶのみであるし、逆に例えば、大胸筋の構造などは人間にあっても、木に登ったり、ぶら下がったりするのに適した構造、ギャップ構造?を持っている。)
それゆえ、動物にあっては、本来のつくられた身体のありかたに見合う運動を、逆から言えば、その生命体の運動のありかたに見合う身体のありかたを持つものである。いってみれば、そこには何の矛盾も無い。
それに対して、人間にあっては、本来のつくられた四足体=動物体としての身体のありかたとは掛け離れた人間としての運動を、逆から言えば、人間の運動のありかたと掛け離れた四足体=動物体としての身体を使っての人間としての運動を行っているという矛盾を持つものである。と思う。
以上の如き、全く違った過程的な構造を持つ動物体=四足体と人間体=二足体とを、それゆえに結果としてもまったく違うと言って良い中身=構造を持つ四足体と二足体とを、単純に形の上の違いとだけ考えて「百会は陽中の陽である。」から、人間にあっては頭の天辺、猫にあっては背中の一番高い位置。といってしまっていいものか?と思う。ここは、いずれ実力を蓄えしっかりと説きたいと思う。
もっとも、「夢講義」(南郷 継正著 現代社)では、そこはすでに説(解)かれているのではあるが、、、、、、。
昨日の経絡経穴概論。百会の解説で、「百会とは陽中の陽である。」それゆえ人間では頭の天辺にあるが、四足の動物の百会は、背中の一番高い位置にある。猫の百会は前肢の上あたりの背中の一番高い位置に、牛の百会は後肢の上あたりの背中の一番高い位置にある。と教わった。
確かに、「百会は陽中の陽」という理屈で行けば、なるほど!と納得するところなのではある。
しかし、である。そもそも動物に経絡経穴なるものがあるのか?ということが問題である。と思う。
仮に、鍼灸治療を施して効果のある部位があったとしても、それを人間の経絡経穴と同じとしてしまっていいのか?とも思う。
それ以上に、そもそも経絡経穴とは何か?が無くては、これらの問いも出て来てはいけない。と思う。
単純に素人レベルで考えても、四足体=動物体は、生命の歴史の中で、その生命体の運動のありかたに見合う進化を遂げた身体を持っている生命体である。
それに対して、人間は、四足体を二足体へと創り変えていったとはいえ、進化レベルでのつくり変えではなく、いってみれば、四足体を無理矢理に?二足体として使っているものである。(解剖的には人間と猿の身体はほとんど同じである。自身の知る範囲では、例えば、内返しを止めるための第三腓骨筋が唯一人間特有の筋肉として思い浮かぶのみであるし、逆に例えば、大胸筋の構造などは人間にあっても、木に登ったり、ぶら下がったりするのに適した構造、ギャップ構造?を持っている。)
それゆえ、動物にあっては、本来のつくられた身体のありかたに見合う運動を、逆から言えば、その生命体の運動のありかたに見合う身体のありかたを持つものである。いってみれば、そこには何の矛盾も無い。
それに対して、人間にあっては、本来のつくられた四足体=動物体としての身体のありかたとは掛け離れた人間としての運動を、逆から言えば、人間の運動のありかたと掛け離れた四足体=動物体としての身体を使っての人間としての運動を行っているという矛盾を持つものである。と思う。
以上の如き、全く違った過程的な構造を持つ動物体=四足体と人間体=二足体とを、それゆえに結果としてもまったく違うと言って良い中身=構造を持つ四足体と二足体とを、単純に形の上の違いとだけ考えて「百会は陽中の陽である。」から、人間にあっては頭の天辺、猫にあっては背中の一番高い位置。といってしまっていいものか?と思う。ここは、いずれ実力を蓄えしっかりと説きたいと思う。
もっとも、「夢講義」(南郷 継正著 現代社)では、そこはすでに説(解)かれているのではあるが、、、、、、。
「そもそも経絡経穴とは何か?」
前々からずっと気になっていた問いですので、非常に関心の強いところです。
また、その上を気血が通るということなので、「そもそも(東洋医学における)気とは何か、血とは何か?」
をしっかりと説明切れないと、なかなか答えられないような気も致します。
もっとも、ご指摘の通り、『夢講義』にヒント(というか答え?)は書いてあるように思いますが、まだまだ私も血肉化できていない状況です。
そして、おそらく同じような論理構造を有する問いとして、
「動物に病気はあるのか?」
があると思います。
動物は本来、人間と関わりあいが少なかった時には、病気というものはあまり存在していなかったように思います(もちろん寄生虫などの病原体による病気はあったと思いますが・・・)。
ですが、人間が自然と関わりあう中で、自然が当時の自然からかけ離れて人工化されていくなかで、動物は本来の本能で行動していても、生理構造に歪みが生じるようになってきてしまっている状況にあります。
つまり、動物は人間によって作り変えられた自然、もしくは人間そのものと、相互浸透する中で、「経絡経穴」や「病気」というものが現象してきたのかな、と思います。
そもそも、「ネコ」や「イヌ」といった生命体は、人間と過度に相互浸透した結果生まれた動物なので、「純粋な動物」とはいえず、生来的に「経絡経穴」や「病気」を持っているのは必然なのかもしれませんね・・・。
いずれにせよ、
「そもそも経絡経穴とは何か?」
「そもそも(東洋医学における)気とは何か、血とは何か?」
ここらへんをしっかりと解き切った上で、また考え直したいものだなぁ・・・と思っています。
そのうち、しんきゅうさんが解(説)いていただけることを楽しみにしています。
自身のブログを書くのが精一杯で、時々ブログ覗かしていただいているのですが、コメントを書くこと出来ずにいます。
さて、今回の記事。端的には、人間の身体は形の上では動物の四足体を二足で立たせただけだが、その中身に四足体とは違う構造があるのだ。だから、そこを無視して形の上の違いだけから人間体(と動物体)にかかわる問題を云々しても、嘘になってしまう。のでは?という(鍼灸界への)問題提起です。自身の実力を超える問題との思いもあるのですが、鍼灸界の発展のためには避けては通れ無い問題との思いから、敢えての内容です。いずれ、しっかりと実力を培って説きたいと・・・・・・。
気血の問題は、今、行っている「旧・東概」のまとめの「気血津液の病証」の項で、少しは説ければと思います。
以前、東洋医学の基本書は?との質問いただいていたと思いますが、現時点でのおすすめは、「よくわかる黄帝内経の基本としくみ」(左合昌美著 秀和システム刊)です。表現は易しいけれども、内容的には現時点での鍼灸界の最高峰である。と思います。おすすめします。
HN、五行から、自身のこれから発展して行きたいとの願望を込めて、青龍としました。今後の書き込みは青龍でさせていただきます。
今後ともよろしくお願いします。