「肝火上炎」を自身の事実で考える(思う?)ことを行なってみることで、ようやくにそのことが納得レベルで分かれた、イメージ出来たと思える。
昨夜の「審美六鍼」の授業、臓腑病証で患者を診て(問診、脈診、舌診、腹診等によって証を立てて)の施術であった。自身の相手に対しての見立ては、肝火上炎と腎虚証で、指導の先生にチェックしてもらい(実際に問診事項を提示して、先生に相手の舌診、脈診をしてみてもらってのチェックを受けて)、肝火上炎と腎虚証で良いが、まずは本治をということで腎虚証に対しての施術を行った、難経69難による腎虚証に対しての選穴(腹溜、経渠)と原兪配穴(太渓、腎兪)での施術を行った。
そのことで、腎虚証と肝火上炎ということに対してのイメージが描けた、との思いを持っていたところに、の昨夜、なかなか寝つけ無いがあって……夢現で腎虚証、肝火上炎について考えていると、自身の事実と腎虚証、肝火上炎がつながっていった、と思える。
具体的には、寝不足が続くと容易くイラっとする(易怒)ようになるという自身の事実が、寝不足での疲労感、倦怠感にともなう様々な症状は腎精、腎陰の消耗であり、それが続くと腎陰虚、腎虚証へとなっていく、一方、腎陰、腎精の不足は肝陰の消耗へと繋がっていく(肝腎は互いに助けあう)ので、肝の陰陽のバランスが崩れて火化しやすくなり、肝火上炎や肝陽上亢へとなっていっての易怒=イラッとしやすくなるというように、自身の生活のありかたによる体調の変化が東洋医学的な解釈として、筋を通して考えることが出来た。
結果として、「これが肝火上炎」「これが腎虚証」というイメージが明確に生きた事実として描けた、と思える。
東洋医学で学んだことの全てにわたって、かくのごとき作業を、ということがすなわちまともな東洋医学の学びであると......。
昨夜の「審美六鍼」の授業、臓腑病証で患者を診て(問診、脈診、舌診、腹診等によって証を立てて)の施術であった。自身の相手に対しての見立ては、肝火上炎と腎虚証で、指導の先生にチェックしてもらい(実際に問診事項を提示して、先生に相手の舌診、脈診をしてみてもらってのチェックを受けて)、肝火上炎と腎虚証で良いが、まずは本治をということで腎虚証に対しての施術を行った、難経69難による腎虚証に対しての選穴(腹溜、経渠)と原兪配穴(太渓、腎兪)での施術を行った。
そのことで、腎虚証と肝火上炎ということに対してのイメージが描けた、との思いを持っていたところに、の昨夜、なかなか寝つけ無いがあって……夢現で腎虚証、肝火上炎について考えていると、自身の事実と腎虚証、肝火上炎がつながっていった、と思える。
具体的には、寝不足が続くと容易くイラっとする(易怒)ようになるという自身の事実が、寝不足での疲労感、倦怠感にともなう様々な症状は腎精、腎陰の消耗であり、それが続くと腎陰虚、腎虚証へとなっていく、一方、腎陰、腎精の不足は肝陰の消耗へと繋がっていく(肝腎は互いに助けあう)ので、肝の陰陽のバランスが崩れて火化しやすくなり、肝火上炎や肝陽上亢へとなっていっての易怒=イラッとしやすくなるというように、自身の生活のありかたによる体調の変化が東洋医学的な解釈として、筋を通して考えることが出来た。
結果として、「これが肝火上炎」「これが腎虚証」というイメージが明確に生きた事実として描けた、と思える。
東洋医学で学んだことの全てにわたって、かくのごとき作業を、ということがすなわちまともな東洋医学の学びであると......。