標治、本治ということを古代中国の人類のアタマのレベルから考えると、そんなことはあり得ない、あり得なかった筈、と思える。
東洋医学(鍼灸、漢方薬等)の世界には、古代中国の医術医学を至上のものとする信仰が存在するように思える。そこから、人類の歴史性を無視しての、が東洋医学の世界には多々あると思える。例えば標治、本治について、「標は現象であり本は本質である。我々は本を脈診により証として捉えて、それに対しての施術を行う。それが随証療法である。」として、それが古代中国からの伝統的鍼灸の再生であるとされる。
しかしながら、古代中国という時代社会にあっては人類の認識は未だ形而下の世界であり、良くて形而上というものの存在が何となく、であったろうと古代ギリシャという時代社会から類推される。
その時代に、治療のレベルとしても未だ幼く、どうにかして病を治す=症状を取り除くことに必死であった時代に、本治だとか標治だとかを云々している余裕など無かった筈である。と。
その通りに、『黄帝内経』で説かれる標本は、「ある症状が原因となって他の症状が起こっている場合には、先にある症状=本から治療すべきである。」という形而下の話でしか無い。(自身の古代中国語の実力の無さから、原文の理解は『霊枢概要』(左合昌美著 ヒューマンワールド刊)によった。)