今朝は冷え込んで、冬の寒さであったが、現在、インフルエンザ(=インフルエンザワクチン)の季節で、自身の務めるクリニックも連日満員御礼である。
さて、このインフルエンザワクチン、もう四半世紀近くも前に前橋レポートで有効性は疑わしい(有り体に言えば、無い!)とされているにも関わらず、ワクチン接種のための満員御礼はクリニックの恒例行事となったままである。
また、自身の周囲でもインフルエンザワクチン推奨している医療関係者もいる。
彼のいうところを(その結論に至る過程、究明の方法を)聞くと、「うちの奥さんが毎年インフルエンザにかかって熱を出していたのが、インフルエンザワクチンを打つようになってからは、かからない、あるいはかかっても比較的軽症ですんでいる。だからインフルエンザワクチンは有効だ。打ったほうが良い。」という、なんとも低レベルな......である。
低レベルな、と断じるのは、論理的でも無く、統計学的にですら無い、単なる事実レベルの、時間的前後関係でしか無いこと(「インフルエンザワクチンを接種した」→「インフルエンザにかからなかった、軽症ですんだ」あるいは「インフルエンザワクチンを打たなかった」→「インフルエンザにかかって高熱が出た」というそれぞれ別個の事実が時間的前後であったということ)から、それもたった一例からの、「だから、インフルエンザワクチンは効くのである」という断定的見解だからである。(利害関係のあるお医者様ならば、分からなくもないけれど.......と、ただただ呆れるのみである。)
このように、その結論に至る過程、究明の方法を見れば、なんとも稚拙で問題にもならない見解も、事実レベルの結果だけを見れば、それに対しての事実レベルの見解をぶつけるだけでは、効く!効かない!の水掛論となっていって、効かないにしても害も大してないから.......となっていって、である。
それゆえの、究明の方法を問うことの大事性でもある、と。