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自身の昔からの悪い癖で、何か一つ成果・結果が出ると、そこまではそれなりに辛抱強く頑張るのに、そこで一休みしようと、のんびりしたことを考えてしまう。
しかしながら、何事も移りゆくのが世の常。「いつまでも あると思うな 親と金」である。
来年もまたブログを書いていられるとも限らないのであるから、年内には、運動の問題をアバウトにであっても説きり、食・睡眠・運動という生活の整えの3大構造ともいえる問題にそれなりに区切りをつけたいと思う。
さて、「人間はいかに運動すべきか?」という問題。
端的には、人間というものはサル体として(樹上の)四足体として出来上がったものを、いわば無理やりに二足体として使って生活= 運動しているものであるから(それに対して人間以外は、魚ならば魚の運動に見合った形に進化した体で、魚の運動をし、狼ならば狼の運動に見合った形に進化した体で、狼の運動をし、サルならば......)そこに矛盾が生じる。それゆえの、人間特有のもろもろの運動体の病がある。
例えば、肩こり、頭痛、膝痛......これらは、本来四足で使うべきものを二足で使う以上避けられないものである。
だから、人間は(どの民族も文明とともに)その矛盾を調和させるために、体操やマッサージ等を誕生させた。
そしてそれは、二足体として使うことで歪んでしまった四足体を、本来の四足体としてリセット・リフレッシュするものである。
と自身では捉え、そのように何十年も対処してきて、それでそれなりに運動することが(サッカー、テニス、空手、居合、棒術、柔術、山登り、バドミントン......等が)可能であった。
ところが、7年近く前に、裸足で10キロ近く走って膝を痛め、それ以来それが腰の古傷と相まって、膝痛が治療して治ったと思って運動すると再び痛む、を繰り返した。
年齢も年齢であるし(まもなく還暦という年齢であったので)限界なのか ? との思いの数年間であった。
そんな状態での、今春の「股関節重心」(レグルス)との出会いであった。
そこで知った(学んだ)ことは、四足体と二足体の矛盾を解決してくれるもの。乖離を繋ぐものが存在する、ということである。(続く)