確定申告に追われている、がそれは必ずしもマイナスばかりではない、と思える。
確定申告の期限が迫って来ている。今年が初の確定申告ということもあって、わからないことだらけで、、、本来のやりたいことせねばならないことを一部ストップさせての、となりつつある。
当初は、それをマイナスとばかりとらえていたのだけれども、そこに弁証法的な法則性を見て取ると、それは必ずしもマイナスばかりではないのだ、と思えていた。
しかしながら、その本当の意義は、そればかりでは無しに、自身の認識を無限の運動形態に置くことにあるのでは、と思えて来ている。
どういうことか?といえば、端的には、人間の頭脳というものは、運動体と同じくに、無限の運動形態に置くことが必要なのではないのか?ということである。
より詳細には、運動の上達の為には、時に(定期的に?)自身の日常的な運動形態だけでは無しに、日常行わない運動をしてやることが必要、効果的であるが、それが無限の運動形態に置くことにつながるが、頭脳もまた、日常的に行わない頭脳活動をしてやることで、活性化されるのでは無いのか?ということである。
その具体が自身にとっては、領収書やレシートの整理や仕分け、もろもろの計算であるのでは、ということであり、それゆえに、のこのところのブログの連続更新なのだ、と思える。
確定申告の期限が迫って来ている。今年が初の確定申告ということもあって、わからないことだらけで、、、本来のやりたいことせねばならないことを一部ストップさせての、となりつつある。
当初は、それをマイナスとばかりとらえていたのだけれども、そこに弁証法的な法則性を見て取ると、それは必ずしもマイナスばかりではないのだ、と思えていた。
しかしながら、その本当の意義は、そればかりでは無しに、自身の認識を無限の運動形態に置くことにあるのでは、と思えて来ている。
どういうことか?といえば、端的には、人間の頭脳というものは、運動体と同じくに、無限の運動形態に置くことが必要なのではないのか?ということである。
より詳細には、運動の上達の為には、時に(定期的に?)自身の日常的な運動形態だけでは無しに、日常行わない運動をしてやることが必要、効果的であるが、それが無限の運動形態に置くことにつながるが、頭脳もまた、日常的に行わない頭脳活動をしてやることで、活性化されるのでは無いのか?ということである。
その具体が自身にとっては、領収書やレシートの整理や仕分け、もろもろの計算であるのでは、ということであり、それゆえに、のこのところのブログの連続更新なのだ、と思える。