MJHA(日本を再び健康な国に)〜東洋医学の実践的理論研究~

MJHA(日本を再び健康な国に)という志で、食・運動(姿勢)・休息(睡眠)に関わる問題等を論理的に説きます。

冬の木登り鍛錬〜初期のサルになりかかったレベルの動物の繰り返し〜

2016-12-09 23:03:26 | 覚え書
冬に木に登ること、自身の限界を超える唯一の道との思いで取り組み始めた。

木に登ること生命の歴史の猿の段階の繰り返しとの捉え返しで行なっていたのだが、これまでは冬は、木も自らの手のひら足のうらも乾燥して滑りやすくなるので、必死にしがみつくことすら出来ずであったので、全く出来ないことをやってみても仕方ないとの思いから、木に登ること行なってこなかった。

しかしながら、「『南郷継正講義』遺伝子の体系性から生命の世界の発展性の帰結たる人間の遺伝子の重層構造を説く(1)」(本田克也著 「学城13号」所収)を読むなかで、「……これはすでに何百回も話したことなのであるが。前にも説いたことがあるだろう。
例えば、サルが木に登ることの意味が分かりたければ、かつての初期のサルになりかかったレベルの動物が何回も何万回も木に登って、そして下りていく努力をしてサルになっていったように、私たちは木に登る努力、下りていく努力を積み重ねていけばすべて分かるのだ、と。ここに、思うということはどういうことかの謎を解くカギがあるのに。だが誰もやらない。」
と説いていただいている、 そのことを具体的にイメージしてみると、「そもそも木に登るための身体の構造を持たない、例えば、手足の指すらが木につかまる構造すら持たない、かつ今まで一度も木に登ったことが無い状態での、火に追われる等の必要に迫られての必死の木に登ろうとして滑り落ちることの何万回、何千万回の、無限といっていいほどの繰り返し」がイメージされた。

そう思えると、初期のサルになりかかったレベルの動物の木登り、と自身の滑ってしがみつくことすらかなわない冬の木登りが重なってイメージすることが出来た。

そう考えることが出来ると、自身にとっては到底分かり得ないと思えた、「遺伝子の重層構造」を分かっていくために必須のことである「思う」ということが分かるための道が開かれた、との思いになっての「冬の木登り」の開始である。

「冬の木登り」が「遺伝子の重層構造」の理解につながるということは自身の恣意的な思い込みでしかない、とも思えるが自身には少しでも可能性があるのならば全力を尽くすしか無いのであるから……。
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