パソコンでの更新再開すると、書くことは考えることを痛感する。
2ヶ月近く、パソコン無しの状態が続いたので、かつその間は前期末試験、夏季集中講義であったので、もっぱらスマホでの更新であった。
先日、久しぶりにパソコンでの更新行うとスマホとパソコンでは、随分とアタマの働かせ方が違うという事感じる。
スマホには、パソコンと違って予測して幾つかの言葉が表示される機能がある。具体的には、一文字打って、あがった候補の幾つかから選ぶというアタマの働かせ方になっていってしまう。これは、アタマの働きを随分とさぼらせていると思える。
手書き、パソコン、スマホと比較すると、媒介物によって、全くと言っていいほど、アタマの働かせ方が違うということ実感される。
パソコンですらが、であるのに、それ以下のアタマの働かせ方になっていってしまうスマホには要注意と、その怖さ感じるとともに、手書きすることの大事さ再認識された。
2ヶ月近く、パソコン無しの状態が続いたので、かつその間は前期末試験、夏季集中講義であったので、もっぱらスマホでの更新であった。
先日、久しぶりにパソコンでの更新行うとスマホとパソコンでは、随分とアタマの働かせ方が違うという事感じる。
スマホには、パソコンと違って予測して幾つかの言葉が表示される機能がある。具体的には、一文字打って、あがった候補の幾つかから選ぶというアタマの働かせ方になっていってしまう。これは、アタマの働きを随分とさぼらせていると思える。
手書き、パソコン、スマホと比較すると、媒介物によって、全くと言っていいほど、アタマの働かせ方が違うということ実感される。
パソコンですらが、であるのに、それ以下のアタマの働かせ方になっていってしまうスマホには要注意と、その怖さ感じるとともに、手書きすることの大事さ再認識された。