MJHA(日本を再び健康な国に)〜東洋医学の実践的理論研究~

MJHA(日本を再び健康な国に)という志で、食・運動(姿勢)・休息(睡眠)に関わる問題等を論理的に説きます。

肩こりをほぐす(1)〜の施術者のアタマの中を視る〜

2020-05-17 09:49:00 | リハビリ室閉鎖中の日記
 自身の他に優れる点は、理論的な高みでは無く、施術の高みでも無く、(自身の)施術の中身=それに関わるアタマの働きを書くこと、書こうとしていっていることにあると思う。カッコよくいえば、理論的実践家を志向しての、であると思う。そこを自覚して、空理空論にならぬ様、心がけていきたい。

 さて、施術をするということは、一般的には、その患者なりの治った状態をイメージして、それには現在の病んだ状態をイメージせねばならないが、その病んだ状態を治った状態=正常へと変えてやることであるが、その施術における施術者のアタマの中を視て、書いていきたいと思う。

 いきなりの高度なかつ複雑な施術、例えば「経絡治療」を取り上げると難しい、これは自身にとっても読んでいただく皆さんにとってもである、ので、まずは、施術初心者が単純な「肩こり」に対して施術する場面を想定して、視ていきたい。

 「肩こり」という患者さんの訴えに対して、施術者は「肩こり」という自分なりのイメージを描いて、「肩こり」があるであろう部位を探して、当初は患者さんから「肩こり」と言われても、見てもわからず、実際に触ってもわからず、凝っているといわれれば凝っている、凝っていないといわれれば凝っていないと思うしかない状態で、これがコリであると極端にいえば、自分勝手に決めて、その部位に施術する。揉む、押す、鍼を打つ、灸を据える......ということになる。

 そして、「肩こり」がほぐれたらそれでお終い、となるのだが、コリというものが当初わからないのと同じことで、コリがほぐれたということも分からず、楽になったといわれれば楽になったのだと思うしか無く、まだ凝っているといわれればまだ凝っていると思うしかないという状態での、コリがほぐれて施術が終わる、である。それゆえに、ここもまた「コリがほぐれた!」と自分勝手に決めつけるしかないということになる。当初は。

 そんななんとも情けない状態で毎日、数十人単位で数ヶ月くらい施術し続けていくと、次第次第に、凝った状態とほぐれた状態を交互に触り比べることで、「これが肩こり!」ということが、わかる様になっていく、ことにもなる。
 
 この「肩こり」への施術を行なっている施術初心者のアタマの中を見ると、描かれている目的像は大きく二つある。一つは「凝った状態」であり、もう一つは「解れた状態」である。より具体的にえば、施術者は「凝った状態」をイメージして、それを探す、であり、そこから、見つけたと思うコリに対して「解れた状態」をイメージして、「凝った状態」→「解れた状態」へと現実を変えていく、変えるべく取り組んでいく、というのが、当初の、初心者レベルの施術者のアタマの中とそれに従った施術の流れである。

 確かに、当初はこのように訳も分からずに施術するしか無い状態が続くのであるが、「凝った状態」と「解れた状態」という二つの像が明確になっていくに従って、的確な施術、意識された施術へと成っていく、しかしながら、それにはどうしても必要なもの、像がある。それは、「正常の像」である。

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