MJHA(日本を再び健康な国に)〜東洋医学の実践的理論研究~

MJHA(日本を再び健康な国に)という志で、食・運動(姿勢)・休息(睡眠)に関わる問題等を論理的に説きます。

<時間>の唯物論的な把握とは〜唯物論的と観念論的の区別と連関〜

2015-12-06 15:58:19 | 鍼灸理論・東洋医学
 「夢講義 第6巻」(南郷継正著 現代社)、読み返した。唯物論的な把握ということ初めてわかった。と思える。

 「夢講義 第6巻」で、<時間>について、<時間>をあるものとして捉えるのは観念論的な捉え方で、<時間>を人類が創造したものとして捉えるのが唯物論的な<時間>の捉え方である。と説(解)いていただいている。

 本来、<時間>というものは、人類が世界の変化、運動を、<時間>として捉え返すことで創造してきたものであり(それが唯物論的な<時間>の捉え方)、それを、もともと<あるもの>としてしまう、人類の精神が生み出したものを世界の始めから<あるもの>としてしまう(=精神的存在の度外れな拡大)のが観念論的ということである。ということだと理解した。

 これを<陰陽>で言えば、世界に<陰陽>という性質がある。として<陰陽>を論じていく<陰陽論>は観念論的であり、本当は、世界の持つ性質を<陰と陽>として捉えて、人類が<陰陽なるもの>を創造したのであり、<陰陽論>とは、その人類が創造した<陰陽>によって、世界全体を、対象とするものを捉え返して、整理・分類して行って論じることである。と思う。
 これは<気>についても、同じように唯物論的に捉え返してやらねばならないのでは、と思える。

 以上の如くの作業を、鍼灸・東洋医学にかかわるあらゆる事柄に対して行っていくことが、唯物論的な学びであり、観念論的体系を唯物論的に学ぶということであり、自身で唯物論を創る、再措定するということ。なのでは無いだろうかと思う。

 
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