枯雑草の写真日記2

あの懐かしき日々を想いながら・・つれずれの写真日記です。

ある浜の風景・・その2

2018-09-08 | 海からの声を聞く
          香川県三豊市の父母ケ浜(ちちぶがはま)です。      
          浜の砂が細かいためでしょうか、見事な砂紋が見られます。          
          観光客の足跡で多くの砂紋は荒らされているのが
          残念ですが・・          
          それでもよく探せば美しさを残した場所も。
          無風、細波が寄せる浜の先端。
          沖を眺める二人、独り・・
          西に向いた浜の、陽が沈むまでの美しい表情を
          堪能することができました。

          























































     

ある浜の風景・・その1

2018-08-25 | 海からの声を聞く
          干潮時に砂浜にできる潮だまりを天空の鏡に見立てて
          若い人達が飛んだり跳ねたり・・
          そんな映像をご覧になったことがあるでしょう。
          香川県三豊市の父母ケ浜(ちちぶがはま)。
          この1、2年、頓に有名になって多くの人を集める浜になりました。
          ちょっとした団体で出かけました。(ちょっと前のこと)
          天候に依る空の様子も、跳ぶ役者(多くは観光客)も
          最適には選べず、(それに私の腕も)
          例の天空の鏡の写真は満足なものとはなりませんでしたが・・
          西に向いた浜の、陽が沈むまでの素の美しい表情を
          堪能することができました。



























































潮岬、二つの灯台

2016-09-21 | 海からの声を聞く
          本州最南端の地、潮岬には明治6年に開設された洋式灯台があります。
          そこは30mほどの海食崖の上ですが、平地が拡がり県道(41号)からも
          容易に立ち寄ることができます。辺りは南国を思わせる豊かな広葉樹林。
          灯台に上れば、眼下の岩礁、沖に白い漁船群・・
          近くにはもう一つの灯台があります。
          紀伊大島東端の樫野埼灯台。
          潮岬灯台より古く、明治3年に点燈した日本最古の石造り洋式灯台です。
          無人化により永らく放置されていた灯台官舎は2011年に改修されました。
          海金剛と名付けられた海崖から見る灯台の風景は、孤高の岬のものです。
          明治23年、この岬の沖でオスマン(トルコ)帝国の軍艦エルトゥールル号が
          遭難。その救助にあたった村民と日本政府の対応への謝意を記念して、
          記念碑や記念館が建てられています。また、その縁で置かれたトルコ共和国
          建国の父といわれるムスタファ・ケマル・アタチュルクの騎馬像。高く手を指す
          その姿に心惹かれます。灯台、官舎、騎馬像・・豊かな地平。




 潮岬
























 灯台の中












 海岸の樹林





 樫野埼の海











 海金剛より





 海崖





 樫野埼の風景





 旧灯台官舎











串本港、夜明けの頃

2016-09-12 | 海からの声を聞く
          ♪ ここは串本、向かいは大島
            中をとりもつ巡航船・・・

          大正の頃より広く歌われてきたという串本節。
          その和歌山県の南端の町、串本に行きました。
          港を見下ろす高台で夜が明ける様を眺めたりしました。
          対岸の紀伊大島に向かって850mほども連なる奇異な岩列。
          それは串本節にも歌われ、その姿より橋杭岩と呼ばれます。

          紅色に染まる水平から、黄金の陽は上り、
          やがて辺り一面赤金の世界へ・・

































































青い海、白い灯台・・関崎にて

2016-03-26 | 海からの声を聞く
          大分県佐賀関半島の先端、関崎に行きました。
          岬に立てば、右手に島(高島)そして直前方に四国の佐田岬が見えます。
          その距離は14kmだと。佐田岬にある風力発電塔が微かに見えています。
          間は豊予海峡、関あじ、関さばの魚場としても有名ですね。
          真っ白な姿を見せる関崎灯台は明治34年7月の完成。レンズはイギリス製の
          大型フレネルレンズ。大正7年4月、向いの佐田岬灯台が完成。このレンズも
          そちらに移設されたとのこと。
          この海峡は神武東征の神話の「速吸門」に因んで「速吸瀬戸」(はやすいのせと)
          とも呼ばれます。もう一つ歴史との縁。灯台のすぐ近くに地蔵と墓があります。
          8世紀、役小角が航海安全を祈願して仏を祀ったという伝説があるようです。
          見ると、地蔵は劣化が進んでいるものの通常の舟形地蔵です。後代に伝説に
          因んで祀られたものでしょう。でも、このためにこの岬は地蔵崎とも呼ばれています。

          長い時間、高みに座って海峡を眺めていました。多くの船が通ります。
          ここは外洋から瀬戸内海に入る唯一の西の門でもあるのです。