大林宣彦監督の1995年の映画「あした」
(原作は赤川次郎「午前0時の忘れもの」)
「呼子丸という小型客船が尾道沖で遭難。絶望が伝えられた三ケ月の後、
家族のもとに「今夜午前0時、呼子浜で待っている」というメッセージが届く・・」
ご覧になった方は少ないでしょうけど・・。
その呼子丸の待合所として使われたロケセットが、今は向島の港のバス待合所
としてあるというのです。
尾道の港から水道をフェリーで渡ります。ほんの5分ほどの距離。
その建物はありました。待合室の壁には、ロケセットとして使われた時の写真
とともにこんな言葉が・・
「この「浜の待合所」のセットを「バスの待合所」として使っていただく・・それは
映画の記念碑はスクリーンの中にのみ残れば良いという大林監督の考えに
よるもの・・」
バスの待合所には、一人の老婆の姿が・・それだけです。大林監督の思いとは
別に、そこで見たものは、波間から忽然と現れる呼子丸の姿に目を凝らした
親や兄弟や恋人の、その姿の背後にあった壁であり、椅子であり、窓であり・・
そんなものでした。
(原作は赤川次郎「午前0時の忘れもの」)
「呼子丸という小型客船が尾道沖で遭難。絶望が伝えられた三ケ月の後、
家族のもとに「今夜午前0時、呼子浜で待っている」というメッセージが届く・・」
ご覧になった方は少ないでしょうけど・・。
その呼子丸の待合所として使われたロケセットが、今は向島の港のバス待合所
としてあるというのです。
尾道の港から水道をフェリーで渡ります。ほんの5分ほどの距離。
その建物はありました。待合室の壁には、ロケセットとして使われた時の写真
とともにこんな言葉が・・
「この「浜の待合所」のセットを「バスの待合所」として使っていただく・・それは
映画の記念碑はスクリーンの中にのみ残れば良いという大林監督の考えに
よるもの・・」
バスの待合所には、一人の老婆の姿が・・それだけです。大林監督の思いとは
別に、そこで見たものは、波間から忽然と現れる呼子丸の姿に目を凝らした
親や兄弟や恋人の、その姿の背後にあった壁であり、椅子であり、窓であり・・
そんなものでした。