枯雑草の写真日記2

あの懐かしき日々を想いながら・・つれずれの写真日記です。

きんさいYOSAKOI 2018

2018-05-23 | ヒロシマ
          広島フラワーフェスティバルの1イベントよさこい祭り。
          今年もまた、その会場に出かけてしまいました。
          阿波踊りは「・・踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々・・」
          と唄われますが、このよさこいもそうかも・・
          踊り手の笑顔が溢れます。
          職場の連、県内の連、近県・四国の連・・
          お馴染みの松山風舞人、魅惑する見事な丸亀月下桜舞連・・
          殿はあの須賀IZANAI連・・
          熱狂と叫びの世界です。





































  
































72年目の8月6日、ヒロシマ

2017-08-06 | ヒロシマ
          8月6日、今年も「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」の行われた平和公園に行きました。
          厳しい夏の陽が注ぐ朝でした。青い空に分厚い小さな雲が点々・・
          松井広島市長の「平和宣言」のなかでも、国連での核兵器禁止条約採択に関して
          日本政府の取り組みを要求する文言が遠慮勝ちに入れられました。
          あの戦争、そして被爆を経てきた日本の国にとって、核反対、反戦の心、それは決意
          であったはずです。
          そのことを政治の具とするのではなく、ひたむきに決意の実現を図ることが核兵器全廃
          への力となり得ると確信します。

          会場で多くの被爆者の老人と短い言葉を交わしました。千羽鶴を持って参加した外国から
          の出席者にもお会いしました。ボランティアガイドの方ともお話をしました。
          そんななかで、会場の被爆者から話を聞く東京目黒の生徒さん達に出会いました。
          「平和とはどういうことなのでしょう・・」 私も聞かれました。
          若い人達も平和について真剣に考えているのです。




 被爆2ヶ月後の爆心地付近











 平和祈念館で











 今日の白い雲





 8時15分の黙祷





 祈り





 原爆の子の像





 原爆の子の像





 被爆者の声を聞く生徒達










旧陸軍墓地、桜散る頃・・

2017-05-25 | ヒロシマ
          比治山は広島の市街の中央部にある小高い丘です。海が見渡せるその南部分には、旧陸軍墓地
          があります。明治の初めから太平洋戦争の前まで広島は軍都であり、戦地で病となり
          陸軍病院等に送られ、亡くなった軍人が葬られていたのです。戦後は米軍の原爆被害調査
          のための施設を建設するため、墓地は破壊され、堀り出された遺骨は、山の斜面の谷間に
          捨てられたといいます。
          戦後15年経た1960年に散乱した墓石を集め今に見る慰霊の施設となりました。
          施設の一隅、海を臨む地に明治時代日本軍と一緒に戦ったフランス人兵士の墓があります。
          ここは遺骨も残されています。

          比治山の桜が散る頃でした。
          並べられた墓石は、墓標の刻字は日本全国数千に及びます。それはヒロシマの、日本の
          悲しい歴史を語っているように思えます。
          原爆が落ちてくる前、広島が軍都であったことが語られることは少ないようです。
          私たちはこのことも忘れてはならないでしょう。








































































広島の「よさこい」2017、その笑顔

2017-05-15 | ヒロシマ
          五月の連休の一日、広島フラワー・フェスティバルのイベントの一つとして開催される
          きんさい YOSAKOI」。
          市内の職場や学校、県内の地域の集まり、そして四国各地の「よさこい連」、それらが
          集い、広島の中央の通りを踊り歩くのです。
          そのオオトリは本場高知のあの「須賀IZANAI連」が飾ります。
          これらの人々の熱気と笑顔に出会うため、今年もその場に出かけました。

          「よさこい祭り」は昭和29年高知市で始まった比較的新しいイベント。その僅かとも思える
          共通性のみを制限とした自由さゆえに、日本各地に広まり多くの「よさこい連」が生まれた
          と言われます。それは地域での絆づくりの役割の一つを担っていることでしょう。
          「踊って楽し、観て楽し・・」。踊る人々の笑顔の渦、その中に観る者の心も溶け込んでゆく・・
          若い人達の晴れがましさの混じった笑顔を追ってみました。





























































































71年目の8月6日、ヒロシマ

2016-08-06 | ヒロシマ
          広島は、あれから71年目の8月6日をむかえました。
          私個人にとっては、叔母の名が新たに加えられ慰霊碑に納められたということもあって、
          いつも(例年)とは少し違った気持ちで慰霊式に臨みました。
          今年は、オバマ大統領がヒロシマを訪れメッセージを残したことが、最も大きな話題で、
          広島市長の平和宣言のなかでもそのことに触れられていました。
          メッセージについては、ヒロシマの人々の間でも賛否が分かれるものでありましたが、
          私は、被爆者の代表・・あの尊敬してやまない坪井直さん・・と会い言葉を交わした
          そのときの動作と表情から、大統領としてではなく、一人の人としての人間性の高さに
          安らかな思いを感じさせられた・・という記憶が蘇ります。
          その人と同行して、只管自らの政治的パーフォーマンスの達成を演じた人については、
          触れたくもない、というのが実感です。
          でも、願わくば・・
          核兵器全廃を願うヒロシマの人のさらに心の奥にある、国と国との争いを軍事力によって
          解決しようとする政治へのレジスタンス、今だコントロールの手法が見つかっていない
          核をエネルギー源としての利用することへのレジスタンス・・
          そのことを決して忘れて欲しくないのです。








































  私が広島に戻って初めての8月6日、2007年のとうろう流しです。