熊本県の南部、球磨郡多良木町にある亀田山青蓮寺(しょうれんじ)。
鎌倉時代の初期(1193)、遠江国(今の静岡県西部)からこの地に最も早く下向
した相良頼景(5年後に人吉に下向した相良家を下相良と呼ぶのに対し上相良
家と呼ばれる)一統の菩提寺として1298年に創建されたと伝わります。
今に見る阿弥陀堂は、1443年頃(室町時代中)再建、1775年(江戸時代中)の
大改修の後に傷んでいたものを平成8年の修復により江戸中期の姿に戻した
ものといいます。
直線で構成される茅葺きの寄棟(四注造とも呼ばれる)屋根は、軒高4.5m、
軒より棟まで7.6mと広大なもの。近づけば御堂は五間四面の大堂であることに
気付かされます。
柱は内外すべて丸柱、四方に廻縁を付し、素朴で壮重な鎌倉建築の色合いを
表すと言われます。三間四方の内陣を取り巻く外陣(脇陣、後陣)で構成する
単純な平面。外陣上には立派な虹梁(こうりょう)も見てとれます。
内陣には、御堂の本尊、阿弥陀三尊像。清らか限りない表情、流麗な衣紋、
観音、勢至の両脇侍菩薩の少し身をかがめて動きだすかのような・・その姿。
1295年の作と言われますが、その見事な保存とともに滅多に会うことの無い
ような感動的な御像です。(写真でお見せ出来ないのが残念です)
現在は真言宗に属する寺ですが、創建当時の浄土信仰の深さを覗わせます。
(阿弥陀堂、阿弥陀三尊像ともに国重文。)
真っ青な空、緑の杉林をバックに、この見事な茅葺屋根の御堂、長い時を村の
人々に守られてきたそのこととともに、感動的な出会いとなりました










鎌倉時代の初期(1193)、遠江国(今の静岡県西部)からこの地に最も早く下向
した相良頼景(5年後に人吉に下向した相良家を下相良と呼ぶのに対し上相良
家と呼ばれる)一統の菩提寺として1298年に創建されたと伝わります。
今に見る阿弥陀堂は、1443年頃(室町時代中)再建、1775年(江戸時代中)の
大改修の後に傷んでいたものを平成8年の修復により江戸中期の姿に戻した
ものといいます。
直線で構成される茅葺きの寄棟(四注造とも呼ばれる)屋根は、軒高4.5m、
軒より棟まで7.6mと広大なもの。近づけば御堂は五間四面の大堂であることに
気付かされます。
柱は内外すべて丸柱、四方に廻縁を付し、素朴で壮重な鎌倉建築の色合いを
表すと言われます。三間四方の内陣を取り巻く外陣(脇陣、後陣)で構成する
単純な平面。外陣上には立派な虹梁(こうりょう)も見てとれます。
内陣には、御堂の本尊、阿弥陀三尊像。清らか限りない表情、流麗な衣紋、
観音、勢至の両脇侍菩薩の少し身をかがめて動きだすかのような・・その姿。
1295年の作と言われますが、その見事な保存とともに滅多に会うことの無い
ような感動的な御像です。(写真でお見せ出来ないのが残念です)
現在は真言宗に属する寺ですが、創建当時の浄土信仰の深さを覗わせます。
(阿弥陀堂、阿弥陀三尊像ともに国重文。)
真っ青な空、緑の杉林をバックに、この見事な茅葺屋根の御堂、長い時を村の
人々に守られてきたそのこととともに、感動的な出会いとなりました









