一般には「臼杵石仏」と呼ばれています。
阿蘇山の火砕流が熔結した凝灰岩に高肉彫とされた4群(ホキ石仏第1群、ホキ石仏第2群、
山王山石仏群、古園石仏群)50駆を超える石仏群です。
石仏の造立年代を示す史料は無く、その作風から多くは平安時代後期、一部
(ホキ石仏第1群、地蔵十王像)は鎌倉時代の作と推定されています。
風雨にさらされ続けた石仏は剝落、損傷が進んでいます。また、昔からの参拝の道は
大雨の時は川と変わり石仏を削りとってきました。多くの石仏はその下半身を失っています。
現在は石仏群を覆う覆堂も造られ、排水設備も設けられて、その保存に懸命な努力が
続けられています。この度、訪れた時も、最も有名なあの大日如来がある古園石仏群は
保存工事中で見ることができませんでした。
目を凝らせば、石肌の着色は驚かされるほどに残っており、失われたテ足を補って華麗でも
あった往時を想像するのです。
私は、50年前、その後にも一度ここを訪れています。石仏群とその周囲の環境の
変化には驚きを感じるのみです。それはその間の自らの変わりようも加わったものでしょうけれど・・
田圃のなかの鳥居。石仏群の山上に祀られる日吉神社の参道鳥居であるかも・・後方は石仏のある山
ホキ石仏第2群、阿弥陀如来 他像
ホキ石仏第2群、阿弥陀如来 他像
ホキ石仏第2群、阿弥陀三尊
ホキ石仏第1群、阿弥陀三尊
ホキ石仏第1群、地蔵菩薩、十王像
ホキ石仏第1群、釈迦如来
山王山石仏、中尊の如来
山王山石仏、中尊の如来
山王山石仏、脇侍の如来
阿蘇山の火砕流が熔結した凝灰岩に高肉彫とされた4群(ホキ石仏第1群、ホキ石仏第2群、
山王山石仏群、古園石仏群)50駆を超える石仏群です。
石仏の造立年代を示す史料は無く、その作風から多くは平安時代後期、一部
(ホキ石仏第1群、地蔵十王像)は鎌倉時代の作と推定されています。
風雨にさらされ続けた石仏は剝落、損傷が進んでいます。また、昔からの参拝の道は
大雨の時は川と変わり石仏を削りとってきました。多くの石仏はその下半身を失っています。
現在は石仏群を覆う覆堂も造られ、排水設備も設けられて、その保存に懸命な努力が
続けられています。この度、訪れた時も、最も有名なあの大日如来がある古園石仏群は
保存工事中で見ることができませんでした。
目を凝らせば、石肌の着色は驚かされるほどに残っており、失われたテ足を補って華麗でも
あった往時を想像するのです。
私は、50年前、その後にも一度ここを訪れています。石仏群とその周囲の環境の
変化には驚きを感じるのみです。それはその間の自らの変わりようも加わったものでしょうけれど・・
田圃のなかの鳥居。石仏群の山上に祀られる日吉神社の参道鳥居であるかも・・後方は石仏のある山
ホキ石仏第2群、阿弥陀如来 他像
ホキ石仏第2群、阿弥陀如来 他像
ホキ石仏第2群、阿弥陀三尊
ホキ石仏第1群、阿弥陀三尊
ホキ石仏第1群、地蔵菩薩、十王像
ホキ石仏第1群、釈迦如来
山王山石仏、中尊の如来
山王山石仏、中尊の如来
山王山石仏、脇侍の如来