枯雑草の写真日記2

あの懐かしき日々を想いながら・・つれずれの写真日記です。

73度目のヒロシマ、平和記念公園で

2018-08-07 | ヒロシマ
     この暑い暑い8月6日の朝、どうにか平和祈念式の会場に行くことができました。
     
     平和祈念式でのこども代表の言葉は
     「・・私たちは無力ではないのです。平和への思いを折り鶴に込めて、世界の人々に届けます。
     73年前の事実を 被爆者の思いを。私たちが学んで心に感じたことを伝える伝承者になります。」
     と結ばれました。

     安部首相の前で、坪井直さんは訴えました。
     「原爆というものはね、人間が悪知恵で作ったもん。人間が作ったもんだから、人類が解決しないといけない。
     (それまでは)あの世に行く気がしません」と。

     「核反対、戦争反対」と多くの人が悲痛な声をあげました。
     それに対して、この国の為政者の言葉は空しく聞こえるだけでした。
     無力感とある種の諦観が混じる、やりきれないヒロシマの人々の思いでした。



     原爆ドーム
     この悲しき象徴・・










     歌碑
     40歳で被爆した詩人、原民喜は6年後東京の中央線で自らの命を絶つ。
     その時代に伝え得た恐ろしき象徴の詩。
     「遠き日の石に刻み  砂に影おち  崩れ墜つ  天地のまなか  一輪の花の幻」














     
     人間を返せ
     被爆詩人、峠三吉の詩の英訳碑。
      「ちちをかえせ  ははをかえせ  としよりをかえせ  こどもをかえせ
       わたしをかえせ  わたしにつながる  にんげんをかえせ
       にんげんの  にんげんのよのあるかぎり  くずれぬへいわを  へいわをかえせ」







     原爆の子の像
     被爆10年後12才で逝った佐々木禎子さんを想って・・














     慰霊碑の陰で






     語る人
     佐々木禎子さんの物語を語る人、聞く子供たち。




     祈る
     多くの人が去った会場で祈りを続ける人がいました。