金子みすゞの「わたしと小鳥と鈴と」の一節の「みんなちがって みんないい」を
理解しているつもりでも、人は自分の価値観が第一だよね。
比べる事はあっても、違いをそのまま受け入れるのには抵抗があって当然だもん。
このブログは、私かれんが、自分の価値観でもって、書いてるので、
「う~ん、よくわかる」と思って下さる方もあれば、「微妙~
」とか
「何を考えてるんじゃ」と思う方もあって当然。
自分で“良かれ”と思っても、真逆の取られ方もあるし“おせっかい”でしかなかったり
結局、私って、おせっかいな人間なんだろうな。世話好きというか…。
この点については、幼少時の未だに語られるエピソードがあるので、
死ぬまで変わらんでしょうだから、【私がおせっかいをしなくなった時】
それは【私が私でなくなる時】なんだと思う。
昨夜九州ローカルの枠で観た番組のせいだね(近々Eテレでも放送すると思う)
福祉ネットワーク「すべての人に食べる喜びを~大分発 摂食指導の現場~」の中で
認知症の96歳の方が“食事は口には入れるけれど、入れた後どうすればいいの?”の
ケースを観たのがショックだった食べるという行為すら判らなくなっちゃうの?って。
でもってその後、永六輔さんのこの夏に密着したドキュメンタリーを観て、以前講演会で
大笑いしながらお話を聞いた時の永さんとは大きく違うお姿に、「老いる」事の現実を
重く感じたってわけです
年を取ること、死に向かって行く事からは、絶対に逃れられない現実があるけど
「日野原重明先生のようにありたい」という願望だけでも持っていたい…。
抗う努力?はしたいと思う。
価値観の相違が個性を生み、それが違う価値観と触れ合う時に
「すかん」で終わるか。「違うけどいいんじゃない
」って触ってみるか。
この観点から、途中ちょっこしズレた展開になったかな?
「生きてるだけで丸儲け」の状態にある今の私は、しぶとく、かつ
楽しく過ごすのでありますおバカもしながら…
金木犀の香りがいいですね赤とんぼも飛んでます
でも、一気に冬になるような予報が出ていますので
くれぐれもお身体、ご自愛下さいませ
ここまでお付き合い下さり、ありがとうございました
お気楽かれんも、真面目に考える事もございます
それと「おっぱい体操」も面白かった
どっちも私だね