人生ブンダバー

読書と音楽を中心に綴っていきます。
現在は、暇に飽かして、日々更新。

12/10 洋楽文化史研究会第88回例会

2016-12-21 05:00:00 | 音楽

12月10日(土)、代々木上原の木下記念スタジオで、洋楽文化史研
究会第88回例会が開催された。

洋楽文化史研究会は、文字どおり洋楽文化の歴史研究会だ(詳しく
は→こちら)。長木誠司東大大学院教授が会長、戸ノ下達也さんが
代表幹事をしておられる。

この日のテーマは「木下保の作曲作品と『やまとことば』の歌唱指導
-太平洋戦争前から戦後の時代状況とともに-」である。

東京藝術大学大学院博士後期課程の仲辻 真帆さんから詳しい「報
告」があり、木下先生の作品(作曲)として、1.坂上昌子先生歌唱と
2.ワグネルOB(有志)合唱が披露された。

「はじめに」(中辻さんの報告より)
 木下保は太平洋戦争前から戦後を中心に活動し、多くの歴史的演
 奏会に出演した。テノール歌手として活躍した他、団体歌の作曲や
 日本語歌唱の実践的指導も行い、東京音楽学校の内外、あるいは
 プロ・アマチュアといった領域を越えて、近代日本における音楽文
 化の創造に貢献した。

1.坂上先生
『時雨の頃』(飯田亀代司作詞)
『二河白道』(大谷智子作詞)

2.慶應ワグネル男声OB有志
『小倉百人一首』より「我が庵は」、「春過ぎて」、「天津風」




私は、ワグネルに入団した時(S45/1970)、恥ずかしながら木下保
も畑中良輔も知らなかった。
就職活動の時、(私が就職した)会社の人事部のT係長(当時)に
「ワグネルという男声合唱をやっています。木下保先生、ご存知です
か?」
と訊いたところ、
「(もちろん)知っていますよ」
と言われ、「当時の私」はちょっと驚いた。

私にとっては、みんなで「古稀」のお祝いもした、大変「身近な」尊敬
する存在であったが、その時でも先生が世間的に有名なことを知ら
なかったのだ。
後から分かったが、T係長は大学の先輩ではなかったが、クラシック
音楽の趣味もあったらしい。



代々木上原駅


代々木上原駅前


大山町


昔は交番?


五差路 





木下記念スタジオ
戦前の分譲地--梅原元会長が木下先生にこんな所ありますよと。
昭和14(1939)年築(山田醇設計)。


木下先生のお写真と
左「喜寿祝賀演奏会(東京文化会館)S54(1979)/9/8」
右「世界合唱祭(NYリンカーンセンター)S44(1969)/3/23」


昭和20年9月18日(火)独唱会 於日比谷公会堂
--平井保喜(康三郎)歌曲の夕べ 
終戦直後、手書きのプログラム。『日本の笛』も取り上げられている。

ちなみにGHQが総司令部を日比谷の第一生命に移転したのは9月
15日(土)だ。


有名なクラウス・プリングスハイム(1883-1979)


昭和21年 東京音楽学校退官の新聞記事


座談会風景
--木下保先生(歴史的人物には敬称省略だそうだが、私は自然に
先生と言いたくなる)は、なぜ戦後に合唱指導者の道に進んだのか?

昌子先生、歌子先生と下田さん、それぞれの立場から「なるほど」と
いう発表があった。


私の「仮説」では、「音楽(合唱)の素晴らしさ」を少しでも多くの人に
味わわせたいという熱い想いと、戦後、アマチュアも含めた音楽会の
「需要」(≒戦後に沸き起こった<音楽への渇望>)があったというこ
とではないかしらん。--木下先生にお聞きしておけばよかった。


*木下先生は、今年創立120周年を迎えた名門、兵庫県立豊岡高
 校(旧制豊岡中学)のご出身である。大正9年16歳に、豊岡より上
 京、ヴァイオリンと声楽をそれぞれ川上淳、澤崎定之両氏に師事、
 11年に東京音楽学校に入学。

 この時代には、第一次世界大戦(T3~7)が終わり、平和が訪れ、
 いわゆる大正デモクラシーとのちに呼ばれる民主主義的な風潮が
 広まった時期と重なっている。その後は世界的な軍縮時代、日本
 では、軍人が結婚できなかったともいう「軍人蔑視の時代」に入っ
 て行く(その反動が昭和初めの「軍部の台頭」?)。

 青年木下先生はそのような大衆文化到来時代の空気を吸われつ
 つ、音楽家の道を歩み始めたと言えるのではないかしらん。

 明治生まれというと、古い人間だと思いがちだが、先生には「万年
 青年」というような、何かハイカラな面を持っておられた(--むろ
 んヨーロッパ留学経験者としても。)のも上記のようなことと関係し
 ているのかもしれない。
 (いまや「昭和」も遠くなりにけり?)

 ちなみに、兵庫県立豊岡高校の校歌は、昭和28年木下先生が作
 曲され(岡垣徹治作詞)、歌い継がれているという。→こちら

 <参考>畑中先生の出身校(現・福岡県立門司学園中学 校・高
 等学校)の校歌は、畑中先生が作曲されている(作詞坂口秀俊)。
 →こちら



帰り道、Fさんと雑談・・・・・・
「音楽(洋楽)の音楽学的、歴史的理解の勉強というのは難しいね
~」(と私)
「先輩は結構お好きなんじゃないですか?(笑)」
「何をおっしゃいますやら」。



平成29年1月発売予定


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 吉川 洋『人口と日本経済』... | トップ | 12/11 餅つき大会 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

音楽」カテゴリの最新記事