この夏も突然局地的な雨が降ることが多い。いわゆるゲリラ豪雨である。これは
都市部が異常な高温となるヒートアイランド現象と関係があるといわれている。と
いうわけで8月7日(日)も晴れてはいたが、折り畳み傘を持ってでかけた。昭和女
子大学人見記念講堂で開催された、2011こどもコーラス・フェスティバル(第25
回少年少女合唱祭全国大会)2日目である。
2011こどもコーラス・フェスティバル
主催;(社)全日本合唱連盟、朝日新聞社
後援;文化庁、全日本少年少女合唱連盟
協賛;キューピー(株)
主管;東京都合唱連盟
私が聴きに行ったのは2日目の7日(日)だったが、1日目の6日(土)は「こどもの
ためのアトリエ」と称して、出演団体を4つに分けたグループごとの合同演奏の練
習があった。4グループの先生は、伊東恵司、松村努、Zimfira Poloz(カナダ)、
Roni Sugiarto(インドネシア)各氏である。
2日目後半の開始は15:05と知っていたが、会場に着いたのは15時ちょうどと
なってしまった。当日券1,500円を購入。本公演は原則前売りのようで、当日券
の売り切れも心配されたが杞憂(きゆう)に終わった。
開始前にステージ写真を一枚パチリ。ふと講師席を見ると桑原妙子先生と春子
先生が打ち合わせをされておられたので、突然「こんにちは!」。「あらま~」とな
った。
15:05 ( )内はプログラムに掲載の参加人数 病欠はおられないカナ?
10.國學院久我山中学校音楽部(27名)
指揮;宮崎直子 ピアノ;栗原正和
「春風」
「百八歳まで」
11・波多少年少女合唱団(50名)
指揮;岩下史弥 ピアノ;二村美紀子、有賀詩織
「COSMOS」
「風になりたい」
12.MJCアンサンブル(18名)
指揮;金子洋一 ピアノ;小林由香
「青い鳥」
「明るいほうへ」
13.ジュニア こーらす フェアリーズ(72名)
指揮;森本真由美 ピアノ;臼田圭介
「ほほう!」
「くしゃみザウルスJr.」
「聖フランチェスコの祈り」
<松村 努教室>
指揮;松村努 ピアノ;織田祥代
16:30
14.小田原少年少女合唱隊(31名)
指揮;桑原妙子
「花の冠」(チェコ民謡)
「ヴェルムランドの歌」(スウェーデン民謡)
「ジョレが座っている」(ブルガリア民謡)
15.佐倉ジュニア合唱団(30名)
指揮;戸谷登貴子
「とう坂みま坂」
「くじら」
「Agnus Dei」
「よいソリの道」
16.Saint Angela Choir(聖アンジェラ合唱団)(39名)
指揮;Roni Sugiarto ピアノ;Danial Alexander
「Sakura(さくら)」
「五音音階のハレルヤ」
「おお、ケケのおかあさん」
「マ・レコン・レコン」
<Roni Sugiarto教室>
指揮;Roni Sugiarto ピアノ;Danial Alexander
「Sanctus」
「Bengawan Solo」
「Sik Sik Sibatumanikam」
《総合講評 出演者により全員合唱》
指揮;岸信介 ピアノ;織田祥代
「Hymn to Freedom」(自由への讃歌)
終演 17:50
(個人的な感想) 1階最後列 1Fモ-35で聴く
10.國學院久我山中学校音楽部(27名)
会場がシ~ンとするなかア・カペラで歌いだした。30人以下であるが、思い切っ
たデュナーミクにひきつけられた。歌心があふれていた。
11・波多少年少女合唱団(50名)
50人いると幅が広がる。きっちりした大きな声量。音楽的でジ~ンと来た。選曲
も合唱団にマッチしていた。語感も大変よかった。
12.MJCアンサンブル(18名)
東日本大震災に被災した南相馬市からの参加。部分演奏を繰り返し、全員そろ
ったのは3日前。シンプルな金子みすずの歌詩が意味を持って心にしみこんだ。
13.ジュニア こーらす フェアリーズ(72名)
2曲目以降は小学校低学年も加わった。女性らしい繊細な棒さばき。けしてうまく
歌おうとしない、心からの子どもの歌に拍手した。
<松村 努教室>
脂の乗っている松村先生。三林輝夫さんのお弟子さん。約160人の大合唱だが、
言葉(歌詩)がはっきりしているのにビックリ!「麦藁帽子」も情感たっぷり。「雪に
窓辺で」の「楽しいことやつらいこと 今年もいっぱい」にグッと来た。三善晃の曲。
14.小田原少年少女合唱隊(31名)
8回目の出場。すべてア・カペラ。音採りなし(?)の、小田原らしい強い声でスタ
ート。いつ聴いても姿勢(ポスチャー)が本格的ですばらしい。曲の流れと七色の
声がピッタリ!3曲目は隣の人とのおじぎが入るおもしろい曲だった。
15.佐倉ジュニア合唱団(30名)
ア・カペラ4曲。団員は、夏らしいオレンジのシャツに黒のスカート。1曲目のわら
べ歌のいい声にひきつけられた。それにしてもどの合唱団もさすが、不自然な揺
れ方をしない。
16.Saint Angela Choir(聖アンジェラ合唱団)(39名)
はるばるインドネシア(バンドン市)からのお客様。春子先生が通訳で登場。イン
ドネシアには私の同期にして上司だったWさんがえらいさんとして赴任する。
(ジャカルタからこのブログ覗いているかな?)インドネシアの方は東南アジアで
もおとなしくて素直、と聞く。
1曲目はフレーズの長い「さくらさくら」。2曲目はきれいなGloriaから中間部は激
しいリズム。ペンライトのほたるがステージをめぐった。
3曲目は太鼓と民族的な 動き(踊り)、太鼓の上での舞にあっけにとられた。ど
の曲も明るい。本場物が目と耳に焼付いた。一言で、すばらしかった。
<Roni Sugiarto教室>
2曲目、前奏の編曲がおもしろい、私には藤山一郎で懐かしい、ステージ一体と
なった「ブンガワンソロ」にはおもわずステージがにじんだ。
3曲目は団員のおがむポーズからスタート。太鼓も入り、日本とインドネシアの
子どもたちが動く。指揮者の杉アルト(?)さんも動く。聴くうちに突如として<平
和のありがたみ>を実感した。楽譜が見たくなった。
《総合講評 出演者により全員合唱》
<講評>
1.Poloz先生 すばらしいイベント、日本の印象もスバラシカッタです。被災した
日本に少しでも役立ちたかった。
2.松村先生いい演奏ばかり。「今の声」は今しか出ません。声は変わっていき
ます。「今の声」を大切に、そしてこれからも歌い続けましょう!
最後にSugiarto教室の人たちはステージに残ったまま、連盟副理事長岸信介先
生指揮、連盟の浅井理事長(同志社OB)も講師・主催者席で立ち上がり、全合唱
団による全員合唱となった。
最後はみんなで手をつなぎ、横に揺れて。会場は、俗世間の「小さなこと」を忘れ、
拍手と感動でいっぱいになった。
来年は、伊丹市いたみホール・伊丹アイフォニックホールでの開催です。聴きに行
かれる関西の方はお楽しみに!
プログラム
子どもたちであふれていた
会場の人見記念講堂
1階中央通路より前は参加団体席と講師席 15:03撮影
松村努教室の合同演奏 みなさんカラフル
(写真をクリックしても拡大しません)
小田原少年少女合唱隊 エプロンは春子先生の手作り
インドネシアの聖アンジェラ合唱団 民族衣装
Roni Sugiarto教室の合同演奏
最後の全員合唱 出演者全員が起立 浅井理事長もお席で参加して
最後は全員手をつないで
(*いずれもノーフラッシュ、シャッター音消去で撮影)
* * * * *
8月13日(土)
あまりに暑いので散髪に行く。思い切り、刈り上げてもらった。
炎天下、都筑ふれあいの丘駅よりセンター南まで1時間歩く。
センター南の港北東急「南国酒家」で昼食。その後、図書館へ。
本日のウォーキング歩数;14,261歩。
理髪店入口
もっと短くてもよかったカナ?
ウォーキングのスタート地点 都筑ふれあいの丘駅
都筑ふれあいの丘駅前 都筑プール方向
都筑プール 親子連れでにぎわっていた
途中で見つけた百合の花
鴨池公園
南国酒家
野菜の天日塩炒め
五目具だくさんあんかけつゆそば(醤油味)
8月14日(日) 朝8時半から近所を1時間ほどウォーキング。7,086歩。
夏の花を見つけた。
サルスベリが目立つ
お盆の時期 地元の信仰
御嶽神社
ここにもサルスベリの花
* * * * *
今日は66回目の終戦記念日である。終戦は昭和20年8月15日だった。
当時の日記を図書館で借りてきた。いずれも《当時の日本人が》終戦をどう受
け止めたのかが分かる史料である。
高見順『敗戦日記』(中公文庫)と山田風太郎『戦中派不戦日記』(講談社文庫)
である。
8月15日の日記(原文のまま)は・・・・・・以下は文庫版の抜粋
《高見順》(明治40年生まれ、当時38歳、作家)
警報。
情報を聞こうとすると、ラジオが、正午重大発表があるという。天皇陛下御自ら
御放送をなさるという。
かかることは初めてだ。かつてなかったことだ。
「何事だろう」
明日、戦争終結について発表があると言ったが、天皇陛下がそのことで親しく
国民にお言葉を賜わるのだろうか。
それとも、--或いはその逆か。敵機来襲が変だった。休戦ならもう来ないだ
ろうに・・・・・・。
「ここで天皇陛下が、朕とともに死んでくれとおっしゃったら、みんな死ぬわね」
と妻が言った。私もその気持だった。
(以下略)
(いずれも(略)を除き『敗戦日記』文庫版原文のまま)
《山田風太郎》(大正11年生まれ、当時23歳、医学生)
8月15日(水)
○帝国ツイニ敵ニ屈ス。
(katsura注)8/15はこれだけである。山田風太郎はブル先生と同い年だった。
8月16日(木) (katsura注)前日15日のことが書かれている。
○八月十五日のこと
(略)広田教授の皮膚科の講義をきいている間に、
「休戦?
降伏?
宣戦布告?」
と、三つの単語を並べた紙片がそっと回って来たときには躊躇なく「宣戦布告」
の上に円印をつけた。きょうの重大発表は天皇自らなされるということをきいてい
たからである。
これは大変なことだ。開闢(かいびゃく)以来のことだ。そう思うと同時に、これは
いよいよソ連に対する宣戦の大詔(たいしょう)であると確信した。
(略)
「最後の一兵まで戦え」
陛下のこのお言葉あれば、まさに全日本人は歓喜の叫びを発しつつ、その通り
最後の一兵まで戦うであろう。
(略)
加藤の腕時計は十二時をちょっと回った。ラジオはまだ何も言わない。が、遠い
家のそれはもう何かしゃべっている。・・・・・・おじさんがあわててダイヤルをひねっ
た。--たちまち一つの声が聞こえた。四人はばねのごとく立ち上がり直立不動
の姿勢をとった。
「・・・・・・その共同宣言を受諾する旨通告せしめたり。・・・・・・」
真っ先に聞えたのはこの声である。
その一瞬、僕は全身の毛穴がそそけ立った気がした。万事は休した。
額が白み、唇から血がひいて、顔がチアノーゼ症状を呈したのが自分でも分っ
た。
(略)
日本が負けた。
嘘だ!
いや嘘ではない。・・・・・・台湾、朝鮮、満州、樺太はもう日本のものではない。日
清戦争、日露戦争、満州事変、支那事変、これらの戦役に流されたわが幾十万の
将兵の鮮血はすべて空しいものであったのか。
(いずれも(略)を除き『戦中派不戦日記』文庫版原文のまま)
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大正12年生まれの母は、当時22歳。海軍省人事局に勤務。最後の最後まで
「神国日本」が負けるとは思っておらず、戦後、友人にバカにされたらしい。む
ろん私の生まれる前の話である。終戦後は書類の焼却作業に追われたようだ。
(--占領軍に差し押さえられないために。)今年は母の新盆である。
高見順『敗戦日記』 (★★★★★) 高見恭子の父である
山田風太郎『戦中派不戦日記』(★★★★★)
<年表>昭和20(1945)年
7月26日 ポツダム宣言
8月6日 広島に原爆投下
8月8日 ソ連、日本に宣戦布告(日ソ中立条約違反)
8月9日 長崎に原爆投下
8月14日 ポツダム宣言受諾回答
8月15日 終戦の詔書ラジオ放送
9月2日 降伏文書調印
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ほんのちょっとでしたが、お目にかかれて嬉しかったです。
インドネシアの子供達は、あれから、小田原に3泊してジョイントコンサートでも素晴らしい演奏を披露してくれました。その後、東京で3日間たっぷり観光をして、14日無事に帰国しました。
私は到着の8月5日から出国の14日まで、通訳や観光ガイドや宿泊付き添いでずっと同行しましたが、みんな人懐っこくチャーミングな性格で、とても楽しかったです。
小田原の子供達も母も私も、音楽的にも沢山のいい刺激を受けて、幸せな10日間でした。
特に今回は、余震の危険性もあり、原発も収束していない中、キャンセルせずに来てくれた聖アンジェラ合唱団にはとても感謝しています。
二国間の子供達の心に育った友情が、未来の平和につながるよう、願ってやみません。
いつも応援していただき、本当にどうもありがとうございます!今後とも、よろしくお願い致します。
聖アンジェラ合唱団は、遠くインドネシアから10時間の旅。日本の大変な時期によく来日してくれましたね~。楽しい思い出をたくさん持って帰られたことでしょう。
お暑い中のフルアテンド、お疲れを残されませんように。それにしても暑いですね~。