昭和の時代、山に集うた若者は、合宿の締めとして、キャンプの火を囲んで、この唄を羞じらいもなく歌ったのだろう。
今の「野営場」にはそれがない。ギターを奏でる者もない。with coronaの時代にあっては、夜はなおさら静寂のかぎりなのだが、昨夜は奥大日岳に茜雲がさして、多くのキャンパーが、今日の日をテントの外で見送った。
素晴らしい天候に恵まれ過ぎたのだろう。今朝は室堂ターミナルへの帰途に歩きだした途端、風雨となり、視界は閉ざされ、ミクリガ池からの立山にお別れの挨拶ができないまま、逃げるように「浄土」をあとにした。
天国と地獄、極楽と浄土、表裏一体なのかもしれない。朝からメボソムシクイがどこからともなく囀ずっていた。晴天の4日間、ライチョウには、会えなかった。腹をすかしていないか、ライチョウの親子。すこし気がかり。