うずのしゅげを知ってゐますか
という設問からはじまる賢治さんの「おきなぐさ」という童話。
オイラの好きなキンポウゲ科に分類されるオキナグサ、50日を超える休園のあいだに、仙台野草園の草花のスプリング・エフェメラル(早春の妖精たち)は草むらに息をひそめ、高山植物エリアには、もう初夏の花々が咲き誇っていた。その花たちになかに、いま花盛りのオキナグサと、結実して、まだ青いがそろそろ髭を白く染めようとしているオキナグサと、異なる株たちに会うことができた。
「うずのしゅげ」とは、岩手県地方でオキナグサを言うらしい。「うず」=おず=おじぃ、「しゅげ」=髭という意味なのだという。オキナグサ(翁草)=白い髭をはやした老人、意味するものは同じだ。
野草園の青い髭を伸ばした株は、もうしばらくすると童話に出てくるように
すっかりふさふさした銀毛の房にかはってゐました。・・・・今にも飛び立ちさうでした。
となって、やがてタネをいだいた銀毛は、南から吹いてくる風に乗って北の方に飛んでいくのだろう。
賢治さんの「おきなぐさ」は、「畑のへり」、「やまなし」、「いてふの実」、「まなずるとダアリア」、「虹とめくらぶだう」など11篇の作品とセットで「花鳥童話集」という童話集にまとめられていたようだが、これらの作品は、いずれも生と死をテーマにしているが、いずれも死というものが潔く、清められて、怖くなんかない。むしろ生が満たされつくし、安息への憧れとして描かれている。とくに「おきなぐさ」は、この童話集に入れていない「よだかの星」のよだかや「銀河鉄道の夜」に出てくるサソリ(蠍)のように、たましい(魂)が天上に昇っていまでも美しく燃えている。たましいが、星になって永遠に燃えているというテーマは、オイラの死生観ともつながっていて、愛すべき作品だ。
こんなことを考えていたら、どうして賢治さんはせっせと童話を書いたんだろうという疑問がわいてきたが、あの「雨ニモ負ケズ」のフレーズを思い出した。
南ニ 死ニサウナ人アレバ 行ッテ コハガラナクテモイヽトイヒ
そうか、賢治さんはそんなことを考えながら、童話を書いていたのかもしれない。
じつは、オキナグサという花の野生には出会えていない。野草園や東北大植物園などヒトの手入れになる園地でしか出会えていない。絶滅危惧種Ⅱなのだという。
ただ、アルプスに行くとツクモグサという仲間に出会える。2019年も白馬エリアでややクリームを帯びた白い花に出会った。
オキナグサ同様柔らかな毛におおわれて、素直にやさしく美しいと思った。
賢治さんの童話を愛することも、美しい花や風に吹き飛ばされていくタネのことを愛おしく思うことも
それは、コワガラナイための処方箋なのかもしれない。