本日のNHKR1「石丸謙二郎の山カフェ」を聴きながら土曜の朝、このブログを書いている。
今朝のテーマは「世界自然遺産の山を行く~屋久島~」
屋久島は、1998年とその20年後の2018年に、同じ11月の勤労感謝の日ころ、同じコースを歩いている。
宮之浦~白谷雲水峡(泊)~縄文杉~新高塚小屋(泊)~宮之浦岳(1936m)~花之江河~淀川という二泊三日のトレッキングは、いずれも快晴に恵まれた。
1998年はソロで、2018年は、石垣島にゆかりのある仲間とその家族、総勢9名というオイラにとっては異例な集団登山だったが、小屋での酒盛り、快晴の下の山岳景観を目の当たりにした仲間たちの歓声、おおいに盛り上がり、楽しい山行だった。こういうことは、もう生涯においてないのかもしれないので、よい思い出となっている。
2018年のこの集団登山、実は総勢10名の予定だったが、「想定外の事件」で9名で、ということになった。
1名がドタキャンした、というよくあるケースではないのだ。
屋久島に出発の日、一緒に歩く予定だった石垣島在住のYさんとは、登山スタイルで夕方の新石垣空港を楽しく出発した。石垣島からはオイラとYさんを含め、6名が同じ飛行機に乗った。予定では、那覇空港で2名が合流、鹿児島空港で残る2名が合流する計画だった。
那覇空港に到着し、2名と合流し、鹿児島便にちょっと時間があったので、売店ブルースカイで生ビールなどでYさんらと歓談した。
鹿児島行の出発案内アナウンスがあったので、三々五々飛行機に搭乗し、それぞれバラバラの座席に座り、1時間にも満たない搭乗時間で鹿児島空港に到着し、隣接したホテルに向かおうとして皆の顔を確認した。
ところが「Yさんがいない!」
Yさんがどうしても見当たらないのだ。どうしたんだろう、なんらかのマジックにかかったようだ。
携帯の機内モードを解除した同行のOさんにYさんからのメールが届いていた。
なんと、Yさんは、那覇空港内の鹿児島便搭乗口で搭乗を拒否されて、飛行機に乗れなかったということだった。
いきさつを詳しくいうと
① Yさんは、石垣空港搭乗手続きで鹿児島便への乗り継ぎ手続きをしていなかった。
② Yさんは、てっきり乗り継ぎ手続きをしてあるものと思っていて、那覇空港でもそのままでいた。
③ 鹿児島便の搭乗手続き締め切り時間となり、Yさんの予約はキャンセル扱となってしまい、その席は空席待ちののヒトに取って代わられ、あいにくその便は満席となっていた。
④ そのため、JAL会員のYさんがいくら頑張っても、空席待ちのヒトが優先され、飛行機に乗れなかた。
ということだ。オーマイガット!
その晩、翌朝となんとかYさんが翌日の鹿児島便を押さえられないか、遅れてでも屋久島に集合できないか、あれこれ模索してが、あいにく連休で、空席の確保が困難となって、翌日、9名が宮之浦空港に着いたころ、Yさんから、「この山行をあきらめた」との連絡が入った。残念無念、一番楽しみにしていたYさんと同行できなかったことに暗然としたが、あとは・・・9名、ワイワイと屋久島での4日間を過ごした。
2019年春に、オイラは仕事をリタイヤし、石垣島を離れることになったわけだが、Yさんとは、2020年の5月末、ヤクシマシャクナゲ満開のころ、一緒に屋久島を歩こうと約束していた。なんとかYさんに屋久島の魅力を伝えたかったし、11月ばっかりの屋久島しか知らないオイラは、別な季節の屋久島の魅力を味わいたかったので、ぜひ実現したかった。
それが、コロナの影響で現在まで、その約束は果たせないでいる。
オイラもYさんも同い年の60代後半のヨワイとなってきた。Yさんは、いまもトライアスロン完走の体力があるので、オイラも負けずに体力を維持させながら、「来年初夏か再来年初夏」、何とか約束を果たしたい。無職のオイラは、きっと屋久島に1月くらいは「生活」してあちこちのコースを歩きたいと思っている。そのさなか、どこかの山小屋で、「適正な乗り継ぎ手続き」で石垣島からやってきたYさんと合流し、乾杯したい、と思っている。ふたりとも、ワクチンは終わっているのだろう。
宮之浦のシルエットと永田岳の朝(2018) (再掲)
ウィルソン株の💛 (再掲)
縄文杉さんの太っ腹 (再掲)
山カフェが、今終わろうとしている。ヤクシマシャクナゲ満開の尾根を夢見ている。