かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

オオルリくんとキビタキくん登場の夏日

2023-05-17 18:18:09 | 日記

気象予報は真夏日の予想であったが、青葉の森は登ると汗ばむものの、いまだ五月のさわやかな風が若葉を揺らしていた。

天気がいいから、山形の蔵王古道でも歩こうかなと思ってはいたが、山形も30度をゆうに超える予想だったこと、クマニュースにいささか怖気づいていたこと、などで今週の蔵王行はやめにして、昨日に続いて青葉の森を歩く。今日は、青葉区の森(本来の青葉の森)まで足を伸ばす。

そんな、消極的な選択がよかったのかもしれない。

五月になっても、いつもなら姿を現さないのでヤキモキしていたオオルリくんの姿をやっと青葉区の森のやや薄暗い沢沿いで認めることができた。聞き覚えのある声を目で追ってしばらく立ち尽くしていたのが功を奏した。オオルリくんは、囀りながら少しづつポイントを変えるので、鳴き声がしていたらこちらは枯れ木のように立ち尽くし、移動場所を逃さないようにする。

この時季の囀りは、ライバルの♂に対するデモンストレーションだろうか、懸命に鳴き続けていて、こちらを警戒しない。近くにメスの姿も見えないが、もう意中の相手がいるのだろうか。もう少し観察の質を上げてその辺のことまで観察したところだが、逢えたうれしさのあまり、動画と静止画を少し撮って、帰路につく。

 

青葉の森の太白区側に戻り、いつもの出口の林道付近に差し掛かると、5月になって頻りに声だけは耳にしていたキビタキくんが近くの枝に飛んできた。そしてあざやかなオレンジの喉をならしながらの大きなさえずりの姿をみせてくれた。こちらはオオルリくんと違ってあちこち移動せず、一つところで鳴いていてくれた。こちらも動画を撮ることができた。

オオルリくんの動画と併せて明日まで編集をすませよう。やはり夏鳥の囀りは動画がいいのだろう。

今年の課題は、青葉の森の美男子と美声の三名士、オオルリくん、キビタキくん、そしてサンコウチョウくんの姿を動画でしっかり記録すること。そのためには、あと1ヶ月ほどできるだけ森に通って、オイラは枯れ木のようにジッとしよう。

 

     

 

     

 

   

     

 

       

 

 

 

 

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クマさんが怖くてもう北海道の一人歩きは無理か・・・・

2023-05-16 22:13:35 | 日記

登山ではないが、また北海道でクマとの遭遇死亡事故が発生した。このところ、毎年のようにアウトドアシーンで同様の事故が発生しているみたいだ。この事故の関連報道で知ったのだが、1990年ころまでは、道の政策により冬眠から覚めた春熊を駆除することで、北海道のヒグマの個体数を2000~6000頭の間に制限していたということだが、自然保護の観点からそのような政策を止め、駆除を行うハンターも高齢化により減少したことも合わせ、現在は20000頭程度まで増えていることが、事故増加の原因になっているということである。

オイラは、1981年から3年ほど釧路と旭川に住んでいたが、まったくクマの脅威を感じずに、普通に一人で山を歩いてきた。当時は北海道の山の先輩から「1000日山歩きをしてもクマに会うことはないから心配はない」と教えられたことが、そんな安易な神経を形成したのだろうが、当時クマと言えば大雪や日高の高原、あるいは知床の高地や人里離れた海岸には生息していることが分かっていたが、そんな領域に入らなければ、そうそう出会う機会はないというのが、大方の登山者やハイカーの普通の感覚だったようだ。

ところが最近は、まさか住んでいないだろうと思っていた道東の釧路根室地方でも普通に牧場被害などの報を聞くし、札幌や室蘭といった街中まで平気でクマが闊歩しているニュースが飛び込んでくるようになった。

やはり、増えすぎたクマが縄張りエリアを拡げ、ヒトの縄張りエリアと錯綜するようになっているというのが、昨今の「困難な状況」の顛末なのだろう。

このような状況にあっては、もう一度北海道の山をひとりで歩いてみたいという憧れは、もうかなわぬ夢になってきていると言わざるを得ないか。正直、オイラにはあの「玉虫厨子」に描かれているような飢えた虎に捨身するブッタや、賢治さんの童話に出てくるサソリのように自らの身を飢えたクマに捧げてもいいという悟りには至っておらず、正直いって「そんな怖い思いをしてまで歩きたくない」という心理になってきている。

「自然保護」による生息数の増加ととハンターの高齢化はツキノワグマ生息地である本州でも同じ状況とみえ、この東北でも毎年山菜採りや農家のヒトを中心に死亡までにはいたらずとも大けが事故が報告されているが、「命の危険」という1点でのクマの恐怖感はヒグマの比ではなく、まだ東北や中部を一人で歩くことについてのそれは、オイラにとっては、まだ80年代の北海道時代と同程度といったところか。(安易な神経であることは承知で、あくまで自己責任で歩くということだが)

といっても、これから東北や中部のキャンプ場のテントに食料などの荷を置いて出かけたり、クマさんが徘徊する夜間に「星空撮影」を行うことについては、クマさんとの遭遇に十分警戒を強めていこうか。(かといって夜間に音を立てることはむつかしいし、撮影中のライトは禁物という矛盾を抱えながら)

 


きょうの青葉山の仲間たち

 

        

      

はじめてサンコウチョウの♀さんに出会ったよ。そろそろ子育てかな。(少しボケているが)

 

      

         新緑のなかのヒヨドリさん、いい表情しているね

 

      

        オナガアゲハかな   タニウツギと

       

         ボロボロ翅のルリシジミさん♀か おつかれさま

      

         ツバメシジミ♀さんかな

      

       ちょっと同定できないシジミチョウさん ハルジオンと

      

        スジグロシロチョウ♂か ノゲシと

 

    

              キアゲハ♂とクローバー

 

    

         セスジイトトンボか  美しいグリーン

 

    

     セセリチョウ科ダイミョウセセリ♀かな タンポポと

 

    

      エゴノキ科のハクウンボク  房のような実になってヤマガラさんの好物とか

 

    

      スイカズラ科ヤブデマリ

     

 

  

 

 

 

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流星群の撮影場所をどこにしようか

2023-05-15 15:59:59 | 日記

こないだNHKBSの「コズミックフロント」を見ていて、ペルセウスやふたご座で有名な流星群がどうして現れるのかということを教わった。

流星群は、太陽系を何十年に1回周回する「彗星」が母体となっていて、それらが放出するチリが「ダストトレイル」として太陽系惑星の軌道に交差しているとのこと。そして、地球が年に1度そのあたりに差し掛かると、地球の大気にチリが反応して光を放つということらしい。

ペルセウス流星群はスイフト・タットル彗星、ふたご座流星群はハレー彗星を母体としていることらしいが、今年はこの流星群を山で観測し、撮影をしようかなと思っている。これまでは、夜は寒いといった理由や酒を飲んでいるからなど、ヤボな理由でネットのハワイ・マウナケア天文台の星空ライブカメラを家で見てたりしていたが、そんなに余生があるわけでもない。そろそろ真面目に取り組んでおこうかという気分になった。

 

流星群の撮影と言えば、静止画像撮影なら何枚も録って比較明合成でつなぎ合わせればいっぱいの流星が1枚の写真に納まるで楽しそうだが、星はじっとしていないので、それをやると円周を描く星の軌跡に流星があちこちに飛び回ってテンヤワンヤの写真になるだろう。下の絵のような写真に収めるには、三脚に赤道儀をつけてカメラを星の移動と同じスピードで動かさなければならないのだろう。ホタルの比較明合成とは、その辺が異なるのでやっかいだ。

 

 

     

 

     

           (2枚ともNHKコズミックフロントから) 

 

 

なので、静止画については、当面は流星を重ねることはあきらめて、何枚も静止画を連続で撮って、流星が映った写真を選び出すということでがまんしよう。ただし、それはそれで美しく好きなのであるが、「流星群を撮った」という達成感には欠けるのだろう。下の写真は、石垣島で南十字座を撮影していた時に偶然に流れてくれた名もない流星だ。このような写真を一夜で数枚ゲットできれば、それはそれで満足なんだが。

 

         

 

ということで流星群だが、今年は「タイムラプス動画」という動画撮影で流星群を記録しようと考えている。これも静止画を何枚も重ねるものだが、いわばアニメーションの手法で動画化するものだ。たとえば15秒の撮影時間後1秒の間を置いてまた15秒の撮影を行う、それを1時間ほど繰り返せば、いくつかの流星がほんの数分の動画に映し出され、星たちも線にはならず点のままでいてくれるだろう。

たとえば、8月のペルセウス流星群は14日未明に「60個/時」の流星が観測されそうなので、動画には、流星がいっぱい記録される可能性が高いのだろう。

山での撮影となれば、どこにしようか。ペルセウスは8月のお盆のころ、ふたご座は10月の後半、お盆はどこもにぎやかで、10月の山の夜はもう震え上がるだろう。

山のキャンプ地で、北東のペルセウスや南東のふたご座が見渡せそうな空が広がるところ。高原なら絶好地だが、スキー場なんてのも空が開けていていいな。8月ならば高所もいいだろうが、10月は山麓のキャンプ地がいいだろう。もちろん相当の暗がりであって人工灯の少ないところ。なかなか、場所の選択に迷ってしまうな。

問題は天気なので、晴れ確率を見込んで、ピークをまたいで3日程度の滞在となるだろう。3日程度なら一泊2000円のキャンプ地でも何とかなるだろう。流星たちに出会えるといいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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樹木の花々のことも忘れないで

2023-05-12 17:46:03 | 日記

青葉の森も葉が繁りはじめ、地上は薄暗くなりつつある。

スプリングエフェメラルのカタクリはすっかりその葉が地上に溶け、わずかに大きく膨らんで今にも弾けそうな蒴果だけを残して地上に痕跡をとどめている。弾けたカタクリのタネはアリが運んでくれるのだという。カタクリやスミレはそうやって領域を広げ、あるいは森を移動している。

地上の草はこうして昆虫たちのお世話になりながら、種を生きながらえさせているが、森へ届く光を真っ先に享受する樹木たちは、タネの移動を小鳥たちにも託しているという。すなわち、果実を飲み込んだ小鳥はどこかへ飛んでいき、未消化のタネをフンとともに少し離れた地上へ落とす。そうやって樹木たちは種族の生存場所を拡げ、あるいは移動している。

もちろん、草や樹木のタネの大半はネズミやリスのエサとなったり他の植物との競合に敗れ、芽を出すものはほんのわずかなのだろう。が、一つの種族が競争に敗れることもなく、森という均衡は長く保たれているようにみえる。(超高速度で何百年の歴史を一気に眼の前にしたら、あるいはそうではないかもしれないが)

そんなことを空を見上げながら、今を盛りとしている樹々の花々を見つめながら考えた。空を見上げるのは、夏鳥たちの姿を探すためではあるが、樹々の花々は、白や薄い黄色と控えめながら清楚で美しい仲間が多いことに気づかされる。樹々の花々や実も記録しておこうか。

この季節、森の樹々たちは、夏鳥たちにふるまう御馳走の準備を始めているに違いない。ミズキ(水木)、ナツグミ(夏茱萸)、サワフタギ(沢蓋木)、シラキ(白木)、タニウツギ(谷空木)、それぞれの花はそれぞれの実をまもなく色付かせ、青葉の森の野鳥たちに振舞うことだろう。その、お味はどうなのだろう。ミズキはキビタキの好物だという。グミはオイラもつまんでみたいし、タニウツギは実にも毒があるのだろうか。シラキは油分がいっぱいだとか。そんな、樹々たちの実にまつわることも学んでいこう。

 

 

ハイノキ科ハイノキ属サワフタギ

 

 

トウダイグサ科シラキ族シラキの花ツボミ

 

スイカズラ科タニウツギ属タニウツギ

 

グミ科グミ族ナツグミ あるいはアキグミかもしれないが、夏までに実がなったらナツグミ

 

ミズキ科サンシュユ属ミズキ  

 

 

 

 

 

 

 

 

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「銀河鉄道の父」を鑑賞してから「鑑真和上像」を拝観したハレの日

2023-05-10 22:33:56 | 日記

駅前のTOHOシネマで封切られたばかりの「銀河鉄道の父」(成島出監督)をあさイチで2時間ほど鑑賞する。予想通り、観客は20人ばかりで、屈託のない2時間を過ごす。映画館でマスクなしで過ごしたのは3年ぶり。

この作品の原作は読んでいないが、史実に添ってこれまで何度も作品化あるいはドキュメント化されている賢治さんのエピソードの域をでず、若干史実と異なるものの、もっと父親に焦点を当てたフィクションを期待したのだが、伝記物の域を出ず、ちょっと残念だったが、役所さん、菅田さん、森七菜さん熱演で満足。

 

史実に忠実であっても、賢治さんと家族の物語は大いに感動をもたらすのだが、没後90年の間にもう何度も繰り返された感があって、そのような作品群の中では、オイラにとっては、昨年北上市で鑑賞した役者さんを岩手人で固めた吉田重満監督の「愁いの王」で極まった感があり、あの作品一本でもう賢治の人生の映像化はいいなという感がしている。

宮澤賢治の現在の世界レベルの評価にいたる礎として、賢治さん没後に間髪を入れず功績の流布に動き出した父親の政次郎さん、弟の清六さん、詩人としての高村光太郎さん、草野心平さんらの力添えが大きいと感ずるが、できるならば彼らと賢治さんとの係わりを作品化してほしいなと思う。とくに賢治さんや宮澤家と高村光太郎さんの人生との係わりについてフィクションでもいいからドラマチックな作品を、個人的には望んでいる。

 

まだ昼前に国府多賀城駅ちかくの東北歴史博物館で開催されている「悠久の絆 奈良・東北のみほとけ展」へ足を伸ばす。

奈良・唐招提寺の国宝「鑑真和上座像」は、毎年6月6日の開山忌を中心3日間のみしか公開開帳されないので、これまでお会いしたことがなく、またとない機会であった。鑑真和上さまのお像は、唐招提寺御影堂の襖絵(東山魁画伯・揚州薫風)を模した壁を背景にしたガラスケースに安置されていたが、全周囲十分に拝観できた。ありがとう。

日本仏教の礎となった高僧の像は国宝となっているものも含めいくつも存在するが、この像だけはほかの像と全く異なる感がある。「瞑想する心」が像となって現れていて、リアルそうな外観は、僧の内面の祈りそのものであり、仏像そのものである。誰がどのような心持でこの像を形に現わしたのだろう。8世紀の知性と感性に感服せざるを得ない。

この展示会には、あらたに会津の勝常寺の国宝「薬師如来坐像と脇侍日光・月光菩薩像」が安置されていたが、これも素晴らしい仏像であった。薬師如来坐像と言えば、これまで法隆寺や新薬師寺などの座像に感銘を受けてきたが、勝常寺の像はその深い瞑想の顔立ちに清純な若さが感じられ、なにか爽やかな心地に誘われる。8世紀に東北という僻遠の地にこのような像を作り上げた者がいたとは、これも驚きである。

このところすっかり、観仏の旅から遠ざかっていたが、近場ですぐれたみほとけたちにたちに出会えたことに感謝せざるを得ない。

丸っきりの晴天なのに、賢治さん関連の作品と憧れていたみほとけたちに出会えて、悔いはなかった。

 

 

      

 

      

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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