言わなければよかったのに日記

 私が見たこと、聞いたこと、感じたこと、頭にきたこと・・・を(ありのまま)に伝えます。

ほとけ展 予告編2

2018年09月10日 | 歴史探偵
     
 
 今日は昨日とうって変わってよい天気になったので一人で仏像を借りに周りました。一人で運ぶのですから“誕生仏”をです。

 “誕生仏”とは、お釈迦さまが生まれたときの姿をあらわした仏像です。お釈迦さまは生まれてすぐ7歩歩き、右手で天、左手で地を指さし、「天上天下唯我独尊」(わたくしは世の中の最勝者である)と云われたのだそうです。4月8日のお釈迦さまの誕生日(灌仏会)のときにこの像に甘茶をそそいでお祝いしています。

 約10cm程度の小さな仏像です。山江ではこの花まつり(灌仏会)が今だ旧暦で行われています。8カ所でです。今回のほとけ展でこの仏さまを全員集合してもらって見てもらおうと思ったのです。昨日以前に3躰借りてきていました。今日は5か所に出かけて行って借りてきました。年に一度ですが甘茶をかけるので、金属製(銅製or金銅製)だと思っていましたが木製のもありました。部分的に木製というのもありました。
 また、右手を挙げて左手は下げてと思っていましたが(むろん欠けているものもあります)逆の左手上げの誕生仏が1躰ありました。作られた時代もいろいろなようです、今度、専門の方に見てもらおうと思っています。あと、高寺院に2躰あるので借りてきて、全部で10躰の誕生仏の‘集合’になります。小さい仏さまですが見ごたえはあると思います。ぜひ、ご一見を、誕生仏は今回のほとけ展の目玉の一つです。

 昨日から大相撲がはじまりました。今場所は大関、横綱勢ぞろいで面白くなりそうです。したがって夕方からテレビにくぎ付けです。

 今日の天気(

今日もパソコンと

2018年09月09日 | 歴史探偵
 

 今日もパソコンと睨めっこでした。今日は昨日と違って“相良藩”の歴史書・・・先日は「歴代嗣誠獨集覧」のことを述べましたが、今日は「南藤曼綿録」のことを調べて見ました。相変わらずアチコチなことをしています。
 この二種類の史書は同じ人(梅山無一軒)が書かれたものです。まず、「南藤曼綿録」を書いて、物足りなかったのかさらに資料を重ねて、もっと分厚い「歴代嗣誠獨集覧」を書かれたのだそうです。どちらも現代語に読んであるので私にはとてもよいです。
  山江に関する記録(記事)を斜め読みしながら付箋を貼っています。そしてその部分(箇所)をワープロに打ち直しているのです。同じような内容が書かれているのですが、ちょっと詳しかったり省いたりされています。“山田大王社造営のこと”は「歴代・・・」だけに記されています。ところが”毘沙門堂再興のこと”はどちらにも記載してありました。ほぼ同じ内容です。
 
 斜め読みしていると面白い記事に出くわします。

 『同年(元禄2年1689年)2月3日松鹿野ヨリ異人ヲ捕ヘ来ル』という1行だけ記してあるのを読みました。「異人」って何のことだろう、と思いました。外国人なのでしょうか?「松鹿野」としか書かれていませんが多良木の松ヶ野かな?です。その異人のことは後にも何も書かれていません。したがって何のことかは不明です。
 
 人吉球磨のことばかりでなく全国の大きなニュースも・・・宝永4年(1707年)のことです。
 『同年10月4日未刻大地震、求痲御城ノ護摩堂幷塩蔵所ノ石垣城御門大破・・・神社仏閣在家ノ破損ハ申スニ及ハス誠ニ前代未聞ノ大地震也』、いわゆる宝永地震のことです。南海トラフ巨大地震のことでM8.6だったとのこと、人吉でも被害があったことが記録されています。
 また、『同年11月(宝永4年1707年)11月下旬駿河国富士山焼砂石ヲ飛シ声雷ノ如ク隣国4、5日夜ノ如ク昼夜ヲ知ラス、傍ラニ山出ル、宝永山ト称サル・・・』とあり、この宝永4年は天災の連続であったようです。

 北海道の地震もまだ余震があっているようです。亡くなった方や行方が不明な方もおられるようです、早くの復興を願っています。

 今日の天気(
 

9月8日

2018年09月08日 | 日記
   
 
 今日もほとけ展準備のことを。
 今日は家にいてパソコンと睨めっこでした。資料作成をしました。仏さまはいつ、誰によって、何のために作られたかがよくわかっていません。作者(仏師)もわからないものが多いです。ずっとそこに坐しておられたのかどうかもわかりません。仏さまは(奈良の大仏さんなどは別でしょうが)動かすことがあるからです。高寺院の2体の国指定の毘沙門天立像も1体は(記録から)他のところから移されてきたことがわかっています。ところがどちらの方が移されてきた仏像なのかはわかっていないのです。

 今日、ずっと悩んでいたのは岩ヶ野堂の‘薬師如来像’のことです。光背に「宝永5年」と書かれてあります。1708年のことです。ところが脇の十二神将は「文政8年」(1825年)なのです。100年もあとに作ったのかな?という疑問なのです。説明をどうしようかとな迷いながらパソコンと睨めっこしていました。今日の写真は辻堂の仏像ですが右側にあるのが墨書書きしてある舟形光背なのです。この光背には作った人(犬童源七)、願主(宮原権三郎、作右衛門)と年号などが書いてあるのでよくわかる仏像ですが、十二神将との関連性がわからないのです。??

 教科書の紙質が良くなる=重くなるとかってに決めつけましたが、‘もりへいさん’のご指摘コメントがありました、イコールではないようです、技術のおかげで紙は軽くなっているようです。ページが多くなったのが大きな要因のようです。たいへん失礼しました。

 今日は一日中の雨でした、すっかり秋らしくなったようです。

 今日の天気(一時
 

置き勉、だそうです

2018年09月07日 | 教育
       
     
 先日からのニュースでも今日の熊日“射程”にも「置き勉」のことがありました。教員を何十年もしていましたが「置き勉」なる言葉は初めて聞きました。報道されている通りにランドセル(の中身)は重くなったのだと思います。重くなったのにはそれなりの理由があるようです。1つくらいだと何百gなのでしょうが、いくつも要因があるからKg単位で重くなったのだと思います。
 
 軽くするには、いろいろとあると思います。以下、思いつくまま書き出してみます。(ほとんど無責任論です)
 1 教科書の紙質を悪くする。むかしはぼろい紙でした。よく破れていました。いまのは良いです。カラーにもなっているので尚更なのでしょう。紙質がよいということは重くなると思います。ページ数が多いのは文科省のせいです。ページが増えたときは1冊ではなく分冊にしなければ仕方ないことです。教科書の紙のことはいい面悪い面があるようです。
 2 教科書以外のものが多すぎる。資料集、問題・ドリル集などのことです。これは学校の責任。私はこれを少なくすべきだと今でも思っています。いらないもの、使わないものが多すぎるのです。たぶん100ページのものは半分も使いこなしていないはずです。買う方も悪いが、作る側(編集)も悪いです。量より質を考え直すべきです。
 3 「置き勉」は仕方ないことでしょうが、アメリカみたいに個人ロッカーがあるわけではなく教室後ろの棚くらいでは間に合わないでしょう。しかし、現実的にはこの対応しかないのではないでしょうか。学期や学年終わりにどさっと持ち帰ることは心配ですが。
 
 私の意見としては、さしおり3、将来的には1や2のことを考えていく必要はあるようです。“射程”にもあるようにしっかり議論が必要だと思います。それも実効性を伴う議論を!です。

 天候が秋らしくなってきました、今日からの雨は秋雨前線でしょうか、一雨ごとに涼しくなっていくのでしょう。

 今日の天気(

ほとけ展 予告編1

2018年09月06日 | 歴史探偵
     
   
 今日も‘ほとけ展’の準備でした。
 1 高寺院 毘沙門堂へ
   久しぶりに(たぶん3年ぶりか)毘沙門堂まで上がってきました。住職とwadaくんと3人で。365段の石段を休む休みに登っていきました。今日の目的は‘西行法師椅像’です。写真は撮ってきましたので明日にでも紹介します。今回のほとけ展に登場してもらおうと思っていましたが、意外と大きかったのでちょっと断念しました。まず、背負って運ばなければならからです。車が入らないので人力では無理なようでした。私にもちょっとその元気がありませんでした。
 住職と喋りながら(こども文化財調査)で毘沙門堂探検を計画することにしました。毘沙門堂まで登って堂内を雑巾がけして座禅の体験をしようということにしました。おかげで夜になったら足がつってしまいました。
 
 2 西福寺と智山堂へ
   西福寺と智山堂にも出かけてきました。ここには(涅槃図と誕生仏)を借りてきました。智山堂の涅槃図は享和3年・・・1803年作というのがわかっています。西福寺のは(よくわからないのですが)明治時代作、二つを並べて展示しました。見比べてもらおうと思っています。

 3 合戦峰観音堂へ
   合戦峰観音堂からは、横谷観音堂から移されてきたという‘十一面観音’を借りてきました。この二つの観音堂の関連を調べているのですがよくわかりません。ただ、今日は古い提灯・・・(十二番 横谷観音)と書かれてあるのを見つけました。また謎が深まるだけの発見になりました。また調べてから報告します。

 
 北海道では大きな地震が起こりました。怖いですね、亡くなった方もおられて、まだ電気、水道もままなっていないとか、早くの復旧を願っています。毎年のように、世界のどこそこで、大きな地震が起きています。まさか、天災ではなく人災ではないでしょうね?

 今日の天気(

再び、ほとけ展を

2018年09月05日 | 日記
     
 
 来週14日から「ほとけ展2018」をします。今日は資料館勤務にしました。今週は天気が崩れそうです、仏さまを持ち運びに雨は禁物です。したがって今日からお堂からの持ち運びをはじめました。まずは、岩ヶ野の(薬師如来、日光・月光、十二神将像)の15躰からでした。十二神将のひとつに「文政八年七月」と書かれてあるので、この薬師如来1セットの仏像群はその時の作だと思われます。1825年です。
 昼から辻堂の地蔵菩薩あわせて3躰を運びました。ここの仏さまはあんまり環境が良くなくて、ひどくなると雨は降りこむようなお堂に坐っておられます。ちょっと痛みがありました。4月に村の文化財指定にしました。

 今回のタイトルは「やまえのほとけ展2018」としました。9月14日から11月25日まで行います。今年はwadaくんと二人でギャラリートークなるものもします。ギャラリートークとは企画展示されているものを説明するものです。今回は昼と夜の2回、村民の方に限るということで行ってみようと思っています。まるっきし詳しくもないのにwadaくんと二人で勉強しながらのチャレンジです。
 講演会も2回、石原さん(10/27)、中西さん(11/3)の予定です。ぜひ、覗きにきてください。
 明日以降もお堂にいって仏さまを抱えてきます。

 台風21五号は大きな風を吹き散らしたようです。雨もですが風の怖さを思いしらされた昨日だったようです。

 今日の天気(
 
 

読み終えて

2018年09月04日 | 日記
     
   
 「歴代嗣誠獨集覧」の斜め読みが終わりました。昨日、述べたように人吉球磨の寺社仏閣の草創のことが知りたくて、抜き読みしていたのですが、ついでに“山江”に関する記述も見つけていました。山江に関することは(山田大王、高寺院毘沙門堂、瑞光寺、増大寺)などが出てきましたがその記述は少なかったです。むろん斜め読みなので漏れがあるかと思いますが、いちおう付箋はずいぶんと貼ることはできました。今後、読んだことをどう読み解いて活用するかです。山江のことはいろいろと使えそうです。寺社仏閣は記事が多すぎてまとめるにはちょっと時間がかかりそうですが面白いとは思っています。

 この書(本)のいちばん最後の項目は、いまの世にも通じるような記述でしたので紹介しておきます。
 「同年極月、西同心蓑毛弥兵衛与申者、八拾余歳之祖母有之、数年実躰ニ介抱候由、・・・」「殊ニ当郡ニ而如是例稀なれハ迚・・・」「為御褒美米三俵拝領スト云々」と書かれていました。最後にいい話で終わるとは作者もえらいなあと思いました。弥兵衛さんの介護が認められて‘米3俵のご褒美’とは江戸時代も粋なものだと思います。

 ちなみに、同年は寛延2年のことです。1752年です。極月とは(ごくづき)と読んで12月の異名です。この記事が最後の記事になって終わっています。

 台風21号は凄かったようですね、こちらには何の影響もなかったのですが風が強くていろんな被害が出たようです。

 今日の天気(
 

謎のままに

2018年09月03日 | 歴史探偵
    

 あちこちと遍歴している私の癖は、いま「歴代嗣誠獨集覧」(れきだいしせいどくしゅうらん)に向いています。この郷土の三史書の一つは江戸時代に書かれた相良藩の史書です。おかげさまで相良村によって平成7年に復刊してされました。相良氏第1代長頼から26代頼峰までのことが書かれています。
 印刷定本にして500ページに及ぶ資料です、おかげさまでくずし字ではなく印刷された字で読めるので私にとってはありがたいことです。ところが日本語がまだ達者ではないために読み取ることには苦労しています。また、一字一句理解しながら読むという時間はないので‘斜め読み’です。目的は、人吉球磨の寺社の草創等が書かれてあるのを読み取りたいのです。しかしあまりの多さにビックリしながら斜め読みしています。例えば次のように書かれています。
 「天文十五、山田里ノ大王社壇因晴広公御願、執権東弾正長兄承公命造修也、伝記詳前也、」とあります。返り点もあるので古文に疎かった私としては苦労しながら読んでいます。したがって斜め読みで付箋をちながら、今日の昼間1/3ほどしか読めませんでした。付箋をうってその先はどうしようかと迷っています。まずは最後まで読んでみます。そのむかし、為政者が神佛を尊んだことは多くの記事で伺えられます。

 台風21号は大きな台風なようです。九州には影響なさそうですが東日本はご用心です。夕方時は風が吹いていましたが、いま(21時30分)はピタリと止んでいます。

 今日の天気(

9月2日

2018年09月02日 | 日記
    

 ようやくマンガの話題です。漫画はむかしから大好きでよく読んで(見て)いました。60年ほど前は、‘赤銅鈴の助’だったのでしょうか、小さいころのことはこのマンガがいちばん記憶に残っています。
 
 大きくなってからもマンガが大好きで、いろんなものを読んだと思います。水島新治の野球マンガは大好きでした。(今でもです)、‘巨人の星’とは違ってど根性ではないところがいいのかもしれません。あぶさんは呑み助で、ピンチヒッターでホームラン王と、通常はあり得ない野球選手だったのが受けたのかもしれません。ドカベンは高校野球の延長線上で、そのうえプロ野球まであって、これまであり得なかったシチュエーションがよかったのかもしれません。どちらも長続きしましたが、ちょっと引っ張りすぎだったかもしれません。
 
 サライの9月号は「漫画」が特集でした。~漫画は世界に誇るニッポンの文化である~という文句で、「ゴルゴ13」「三丁目の夕日」などの‘大人向け漫画’の紹介がなされています。養老孟司さんは「漫画を読んで感性を取り戻せ」と漫画を読むべき理由の一つとして“漫画の画は「漢字」で、吹き出しは「ルビ」である”と述べられていました。脳科学からしても漫画を読むことは脳を刺激しているのだそうです。
 私は残念なことに絵を描けません、むろん漫画もです。したがって読むばっかりです。想像力を働かせるという意味からも脳にはいいのかもしれません。
 今日の写真は「ちびまる子ちゃん」です。数年前に古本屋さんで安く買ってきたものです。1990年刊です。作者のさくらももこさんが近ごろ亡くなられました。今日の夕方も孫と一緒にテレビを見ていました。
 ‘となりのトトロ’と同じくで、漫画は日本の文化に大いに影響していると思います。脳の活性化のためにもちょっとずつ読んでいこうかなと思っています。在庫は我が家の本棚にいっぱいあります。
 漫画、マンガ、劇画、アニメ・・・よく区別はついていません。

 今日の天気(→夕立

9月に

2018年09月01日 | 日記
 今日から9月、9月になった途端に(これまでよりは)涼しくなったようです。朝からの雨と曇天のせいのようです。最高気温も30℃を切ったようです。久しぶりだったのではないでしょうか。台風の動きも心配ですがこのまま秋らしくなっていくことを希望します。
 
 今夜は久しぶりに同級生で集まって呑むことができました。saito監督の長年のご苦労さんをダシにしての集合でした。同級生:こちらにいる者で17名ほど集まりました。男女、約半分ほど、女性軍とはもう何年もあっていない・・・人が多かったです。とはいえ、男友人とも年に一度会えばいいというようにはなっています。saito監督が同級生で、長年頑張ったからこそ、今日の会ができたのです、よかったです。
 
     
  
 じつは私は今日で69になりました。今夜の店で祝ってもらいました。2本のろうそくです、1本は3年ほど前に亡くなった、2日生まれの同級生がいました。亡くなってはいますが二人分?を祝ってもらいました。
 ろうそくを消す前に(幾つになったの?)と問われたのにはビックリでした。みんな同じ年なはずです。何故なら同級生だからです。そろそろ痴呆が入ってくるアラ70になっているせいかもしれません。二次会には参加せずに、早めにご無礼してきました。やはり同級生はよいものです。

 今日の天気(