8月4日(土)、日差しが照るつけるような暑い日に友の告別式が行われた。友人と二人で出かけたが、今日も会場に入りきれない人が出るなどすごい人でした。
休憩室には、彼女の作品が所狭しと展示さられていた。写真も18,19歳頃の若い彼女の写真はプロが写したのか、横顔がとてもすてきでした。始めて見る彼女でした。こんなときがあったんだ。こんなときからずーとショートヘアで、65歳をすぎても彼女の変わらぬケアスタイルでした。書の専門家ではありませんので、難しい書は読めませんでしたが、30年以上もの書道一筋に現役で、がんばってきた彼女の姿が浮き彫りになった作品展でした。
そのうちの作品で「生き方は みんな違って みんないい」「道一生」が一番言葉も文字も私には、これからの人生を示唆してくれる言葉だと思いました。
式場の彼女の写真もすばらしい。赤い服で。髪をかき上げたようなしぐさは、彼女の魅力を十分に引き出していました。思わずカメラを持ち出して、その写真がほしくって、写しました。この写真はそっと私も手帳にはさんでおくことにします。
彼女に習字を教えてもらった次男坊や娘にもメールしたら、次男坊から「すごく優しく丁寧に個性を引き出してくれた気がします。あそこで習字を習えてよかったと今でも思います」メールが送られてきました。30年以上前に教えてもらった生徒でも、感じるんですから、たくさんの生徒さんに影響を与えていることでしょう。そんな彼女が一番65歳で、自分の生涯が終わるなんて思いも寄らないことだったのではないでしょうか。
昨年の11月の発病して、そのときには腹膜炎を起こし、ステージ4で、肝臓にも転移していたそうです。それからの8ヶ月の療養生活は、家族と共、壮絶な病との闘いであったことでしょう。ご主人の顔を見ただけで、想像できるものです。主治医が息子さんだったことも、彼女にとってはうれしいことでもあり、苦しみでもあったのではないでしょうか。
新潟で4人姉妹ですぐ上のお姉さんが弔辞を読まれましたが、長女次女もすでに52歳、56歳の若さの大腸がんでなくしているとのことです。お父さんを小さいときになくしているので、お母さんは4人の子を抱えて、苦労をされて、彼女も中学を出ると、すぐの名古屋の看護学校を入学したとのことでした。彼女がそんな苦労を人とは到底思えないほど、明るく、しっかりした人でした。これからも愚痴を聞いてもらったり、叱咤激励をしてくれるのを楽しみにしていた矢先の、彼女の死は、ショック極まりない気持ちです。
また愚痴を言っていると叱られそうです。ご主人にも言いましたが、彼女の分まで長生きしようね。