二日目も快晴
横着者なので、布団の中からパチリ。
誰が撮っても絵になる風景だから大丈夫
サメ氏は早起きして、一人で日の出を見に行ったらしい
ナント、昨日の夕方見た教会から朝日が昇ったそうです
礼拝。。。
朝食は、持参したスティックコーヒーとスーパーで買ったパンと、コレ↓
これしか写真を撮って無かった・・・
元気が出るかなと、人生初鰻むすびなるモノを食べてみました
十時前にのんびりと出発
このホテル、油谷湾温泉にあるホテル楊貴館。
このホテルも泉質も凄く良いし、お料理も美味しくてお勧めですよ
母とも何度か泊まったし、
サメ氏の還暦祝いをしたホテルです(ああ・・・13年も経ちました)
もっと遡れば、この道を、次男が高校時代、中国駅伝で走ったそうです
当時、くちこ家は、母子家庭で、それぞれが自分の持ち場を守るべく頑張って暮らしていました。
くちこは、看護師、ピアノ講師、シャドーボックス講師・・・365日隙間なく働いていたのでね、
次男の応援とか、殆ど行って無いんです
一人だけ手袋を持っていない選手、靴下は自分で毎晩のように繕いに繕い、ついには四重に繕ったよと笑っていたなあ・・・
くちこに言わずに、文房具代等々も自分のお弁当代を削って捻出していたそうです(後日談、そこまで困って無かったのにな)
部活は長距離だし、腹ペコだった、と
サメ氏に、そんな報告をしつつ萩へと向かったのでした。
萩・三隅道路と言う、自動車専用道路を無料で走行しました。
※萩・三隅道路は、山口県長門市三隅中から萩市椿を結ぶ延長15.2kmの自動車専用道路です。
あ、そうそう、
昨夜食べたイカゴロゴロメンチカツの美味しさが忘れられなくて、同系列のスーパーがあったので、
鼻息荒く買い占める勢いで入店しましたが、無い・・・
が、コレみっけ
下関って瓦そばが有名なんです。
炒めた茶蕎麦をタレで食べますよ。
具は、甘辛牛肉や錦糸卵、刻みネギ、刻み海苔がお約束。
くちこは、小中の6年半、下関で育ったのでね、本場で食べていました。
家でも時々作るし、子供達の好物でした。
なので、これをお買い上げ
本日のランチは、これと、未だ残っている小夏、
水筒には持参台湾茶、保温カップには、持参したコーヒースティックで作ったホットコーヒーが入っていますよ。
庶民派くちサメペアには、十分なランチでした
去年の秋、萩八景遊覧船に乗った時に、船から旧田中別邸を見て、次回は是非見に行きたいと思っていたので、先ずそこへ。
萩市内ね、城下町として古い町並みが遺されているので・・・道が狭い
途中、川辺に停めて、iPhoneのナビで歩くことにしましたが、
これが結構、面白かったです
平安古町は、ひやこまち、と読みます。
平安古は、旧萩城三の丸を囲む外堀の南に位置します。
武士のうち重臣の多くは三の丸である堀内に居住しましたが、平安古では開墾が進むのに並行して数多くの武士が屋敷地を構えました。
保存地区は橋本川沿いにあり、江戸時代の地割りをよく残し、当時の屋敷構えをうかがうことができます。
現在でもそれら武家屋敷の主屋、長屋門、長屋、土蔵が、鍵曲(かいまがり)を構成する長い土塀とともに残っており、藩政期の姿をよく留めています。
旧児玉家庭園と平安古かいまがり交流館は、なんと定休日でした
次回に行きたいな、と。
とことこ、古い町並みを歩くのも良かったです。
↓このベンガラ塗りが懐かしくて
くちこが生まれ育った家も江戸時代からの家で、家中、トイレの床までベンガラ塗りだったのでね。
鍵曲(かいまがり)です。
鍵曲(かいまがり)は、左右を高い土塀で囲み、道を鍵の手(直角)に曲げた独特な道筋です。
藩政時代、堀内地区に屋敷を構えていた重臣たちは、堀内が手狭になったことから新たに平安古地区に下屋敷を求めました。
その重臣たちの屋敷を守るために造られた道筋です。
おまけ
萩の特産物、夏みかん、あちらこちらの塀越しからこぼれるように実っていました
萩ね・・・
昔は、面白く無い所って思っていたんです。
歳をとると、これが、面白い
全ては時の流れなのかな。
第26代内閣総理大臣 田中義一の別邸からは、次回とします。
此処まで、二日目前半ってことで
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