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さんぽかいにほんばしに

2015年12月08日 | Weblog
12月 8日

 散歩会でした。日本橋・その他。その2

 昨日の続きで、京橋から10~15分ぐらい歩いて
日本橋へ。です。
 日本国中の大名が江戸の普請をした。川や堀も
造った、ということで、ある意味記念の橋。
でしょかね?






 


   獅子が押さえているのは
  「東京市」の紋章です。





 これまた有名な話ですが、日本橋は各地へ伸びる
街道の基点になりました。
 今でも東京を起点とする主要国道の基点です。



   <道路元標>です。これはレプリカ。
   本物は橋の中央に埋め込まれている
   そうですよ。



   橋の南側(高島屋側)
   ひらがなです。



   橋の北側(三越側)
   漢字です。



   日本橋には魚市場が
   ありました。

 江戸時代、日本橋の魚河岸は、1日に千両もの金が
動いたといわれていますが、それほど活発・活気が
あったんでしょうね。
 関東大震災後に築地へ移転となりました。



   三越のクリスマスツリー



   日本銀行(裏側)
   日銀本館は金座の跡地です。
 


   そしてその向かい側に
   日銀分館(日銀貨幣博物館)
   があります。

 貨幣(貨幣経済)の成り立ちなどが展示されて
いますよ。ここも撮影禁止でした。
 銭を持って旅をする(外出する)のはタイヘン
だったんじゃないかなぁ? なにしろ重いん
ですよお金が金属ですからねぇ。紙幣は明治に
なってからだもの(藩札など、一部ではお金と
して通用するものもありました)。
 そいでも、江戸時代には為替や両替が発達した
ので、多少は楽になったんでしょうがね。

 日本橋三越の向かい側は再開発されて、コレド
などができましたが、まだまだ江戸の名残りが
ありますよね。(佃煮屋さんなど)



   そういう路地の中、
   ポツンとこんな碑が。
   イングランド人ですから、
   碑も英語で書いてあり
   ました。

 それは三浦按針=ウィリアム・アダムスの屋敷跡
ですよ。
 ヤン・ヨーステン(屋敷があったところが八重洲と
いう地名になって残っていますね)らとともに、
日本に漂着し、家康に信頼され、重用されたんで
すよね。
(西洋の航海術・天文・造船などの知識や技術を
伝授した)

 三浦は与えられた領地があった三浦半島から、
按針は船の乗組員だったときの航海士(水先案内)
からとった名前です。

 次は人形町へ向かいました。つづく。
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