久々に「ぼうず」だった。
魚釣りに行って1匹も釣れなかった。
釣りをする場所の設定、釣りをする時間帯、釣りの仕掛けなど、魚が1匹も釣れなかった原因は色々と考えられる。
一番良くなかったのは、釣りに出かける前の「気合い」の欠如だったのかもしれない。
昨日は雨模様だったので、きょうは何の魚を釣ろうかと迷ってしまった。
通常であれば川の水嵩が増えているので、境川での「ヤマメ釣り」という選択となるのだが、ヤマメ釣りには先週も行ったし、季節的には「ウナギ釣り」かなと思ってしまった。
で、場所をどこにしようかと考えたけれども、昨年ウナギが釣れた大村湾の鈴田川河口まで行くのを億劫に思ってしまった。
天気もぐずつき気味だったし、あまり遠くへは行きたくないなと思い、なるべく近場で済まそうと安易に考えた。
ということで、なるべく近場でウナギが釣れそうな所を想定した。
諫早湾干拓の潮受け堤防よりも外側にあり、島原半島の中で有明海にそそいでいる河川の河口部で、愛野町に近いところということになる。
諫早湾干拓の潮受け堤防で、有明海の潮水と遮断されている雲仙市愛野町内と吾妻町内から流下している河川には、海から遡上してくるウナギは居ないはずであるから、ウナギを釣ろうと思えば、必然的に雲仙市瑞穂町よりも以北の河川の河口部に場所は限定される。
家の庭の落ち葉が積もっている場所を掘ると、ウナギ釣りの餌となる「ドバミミズ」がいる。
その様子を見ていた猫の「もえ」が、ミミズ掘りを自分も手伝おうとしたかのごとく、プランターの表面を前足で掘って、ドバミミズを1匹見つけてくれた。
午前中に雲仙市瑞穂町と国見町の川の河口部に出掛けたが、潮時が悪かった。
干潮に向っている時間帯で、河口部の水位はどんどん下がっており、途中から土砂降りの雨になった。
雨合羽を着用してはいたが、そのまま釣りを続ける根性もなく、一度家に帰った。
家でゆっくりした後に、午後3時ごろから瑞穂町の神代川河口に出掛けて、満ち潮の時間帯に釣り糸を垂れてみたが、仕掛けが引っ掛かって切れる事はあっても魚の当たりは一度も無かった。
かくして、魚釣りで「ぼうず」を経験した珍しい日だった。
ちなみに、「ぼうず」とはウィキぺディアでは以下の様に説明してある。
「坊主」とは、「房主」と書くのが本来である。
始めは僧房の主(あるじ)のこと、つまり一坊の主としての住持や住職のみを指していた。
これに対して十分な経験を持ちながら、特定の房(坊)を持たない僧侶を法師と称して区別した。
また、こうした坊主身分のことを特に坊主衆(ぼうずしゅう)とも称した。
古典文芸作品では、坊主は小僧の対義語で、お寺で一番身分の高い僧侶である。
日本では中世以来、次第に法師など住職以外の一般の僧の総称となった。
したがって、本来は尊称であった。
「坊さん」「お坊さん」と呼ぶのも、同じ語源による。
時代がたつと、僧形の者、髪を剃ったり短く刈ったりした者、また、毛のない頭やそれに見立てられるものをも広くさすようになる。
武家時代に、大名などに仕えて、僧形で茶の湯など雑役をつとめた者も坊主と呼ばれ、その職掌によって茶坊主・太鼓坊主などと呼ばれた。
また、男の子の愛称となったのは、昔、僧のように幼時に髪を剃っていた事からであろう。
なお、キリスト教伝来の当初には、宣教師を(南蛮)坊主と呼んだ事もあったという。
このように、時代が下るにつれて、尊称とは言えなくなり、蔑称の場合も多く、現在では僧侶に対し「坊主」などと呼びかけるのは大変失礼に当たるので注意が必要である。
これは「坊主丸儲け」「生臭坊主」などという言葉(檀家制度が導入されたために僧侶の堕落が著しくなった江戸時代から使われるようになった)に象徴されるように、仏教の葬式仏教化に伴い、僧侶が必ずしも尊敬の対象にならず、むしろ侮蔑の対象にすらなったという意識の変化によるものであろう。
アタマジラミが発生した場合、スミスリンなどの薬品を使わずにシラミを駆除できる髪型とされている。
その他
日本語で少年のこと。 関西弁、特に大阪では「うちの坊主」のように自分の子ども(男子)に使う。
丸刈り、いわゆるスキンヘッドのこと。
水商売で、お客が一人も来ない日(夜)のこと。
釣りで全く魚が釣れなかったこと。上記からの転用。
豊田一喜
魚釣りに行って1匹も釣れなかった。
釣りをする場所の設定、釣りをする時間帯、釣りの仕掛けなど、魚が1匹も釣れなかった原因は色々と考えられる。
一番良くなかったのは、釣りに出かける前の「気合い」の欠如だったのかもしれない。
昨日は雨模様だったので、きょうは何の魚を釣ろうかと迷ってしまった。
通常であれば川の水嵩が増えているので、境川での「ヤマメ釣り」という選択となるのだが、ヤマメ釣りには先週も行ったし、季節的には「ウナギ釣り」かなと思ってしまった。
で、場所をどこにしようかと考えたけれども、昨年ウナギが釣れた大村湾の鈴田川河口まで行くのを億劫に思ってしまった。
天気もぐずつき気味だったし、あまり遠くへは行きたくないなと思い、なるべく近場で済まそうと安易に考えた。
ということで、なるべく近場でウナギが釣れそうな所を想定した。
諫早湾干拓の潮受け堤防よりも外側にあり、島原半島の中で有明海にそそいでいる河川の河口部で、愛野町に近いところということになる。
諫早湾干拓の潮受け堤防で、有明海の潮水と遮断されている雲仙市愛野町内と吾妻町内から流下している河川には、海から遡上してくるウナギは居ないはずであるから、ウナギを釣ろうと思えば、必然的に雲仙市瑞穂町よりも以北の河川の河口部に場所は限定される。
家の庭の落ち葉が積もっている場所を掘ると、ウナギ釣りの餌となる「ドバミミズ」がいる。
その様子を見ていた猫の「もえ」が、ミミズ掘りを自分も手伝おうとしたかのごとく、プランターの表面を前足で掘って、ドバミミズを1匹見つけてくれた。
午前中に雲仙市瑞穂町と国見町の川の河口部に出掛けたが、潮時が悪かった。
干潮に向っている時間帯で、河口部の水位はどんどん下がっており、途中から土砂降りの雨になった。
雨合羽を着用してはいたが、そのまま釣りを続ける根性もなく、一度家に帰った。
家でゆっくりした後に、午後3時ごろから瑞穂町の神代川河口に出掛けて、満ち潮の時間帯に釣り糸を垂れてみたが、仕掛けが引っ掛かって切れる事はあっても魚の当たりは一度も無かった。
かくして、魚釣りで「ぼうず」を経験した珍しい日だった。
ちなみに、「ぼうず」とはウィキぺディアでは以下の様に説明してある。
「坊主」とは、「房主」と書くのが本来である。
始めは僧房の主(あるじ)のこと、つまり一坊の主としての住持や住職のみを指していた。
これに対して十分な経験を持ちながら、特定の房(坊)を持たない僧侶を法師と称して区別した。
また、こうした坊主身分のことを特に坊主衆(ぼうずしゅう)とも称した。
古典文芸作品では、坊主は小僧の対義語で、お寺で一番身分の高い僧侶である。
日本では中世以来、次第に法師など住職以外の一般の僧の総称となった。
したがって、本来は尊称であった。
「坊さん」「お坊さん」と呼ぶのも、同じ語源による。
時代がたつと、僧形の者、髪を剃ったり短く刈ったりした者、また、毛のない頭やそれに見立てられるものをも広くさすようになる。
武家時代に、大名などに仕えて、僧形で茶の湯など雑役をつとめた者も坊主と呼ばれ、その職掌によって茶坊主・太鼓坊主などと呼ばれた。
また、男の子の愛称となったのは、昔、僧のように幼時に髪を剃っていた事からであろう。
なお、キリスト教伝来の当初には、宣教師を(南蛮)坊主と呼んだ事もあったという。
このように、時代が下るにつれて、尊称とは言えなくなり、蔑称の場合も多く、現在では僧侶に対し「坊主」などと呼びかけるのは大変失礼に当たるので注意が必要である。
これは「坊主丸儲け」「生臭坊主」などという言葉(檀家制度が導入されたために僧侶の堕落が著しくなった江戸時代から使われるようになった)に象徴されるように、仏教の葬式仏教化に伴い、僧侶が必ずしも尊敬の対象にならず、むしろ侮蔑の対象にすらなったという意識の変化によるものであろう。
アタマジラミが発生した場合、スミスリンなどの薬品を使わずにシラミを駆除できる髪型とされている。
その他
日本語で少年のこと。 関西弁、特に大阪では「うちの坊主」のように自分の子ども(男子)に使う。
丸刈り、いわゆるスキンヘッドのこと。
水商売で、お客が一人も来ない日(夜)のこと。
釣りで全く魚が釣れなかったこと。上記からの転用。
豊田一喜