川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

坊城俊民校長からの手紙(2)人間と政治の関わり

2008-02-08 06:38:51 | こどもたち 学校 教育
 国籍取得特例法案制定の動きが出てきて、僕もいくらか蠢(うごめ)き始めました。5日は国会議員会館で議員に面会して陳情、6日7日は確立協の声明案作り、3・9集会のビラづくりなど。ビラは娘が制作してくれ、昨夜印刷所に入稿しました。
 10年来の課題がようやく、表舞台に出てきたのですから、やり甲斐があります。是が最後のチャンスと心得てやれることをやります。3・9に予定がない方は是非とも在日韓国YMCA(2月6日のブログ)に足を運んでください。ビラなどが必要な方は連絡してください。
 市民の一人一人が立ち上がらなければ、民主主義は機能しません。誰か頼み、お上頼みではダメ。今回は特に、在日コリアン、コリア系の人々が立ち上がる秋(とき)です。国籍を獲得すると言うことは市民権を獲得するということです。忍従に終止符を打ち、ともに闘いましょう。


 坊城さんからの手紙(1971・2・16)の続きです。校長は53歳、僕は30歳の春。「東京都」の便箋に万年筆の字。配達は坊城校長。


 生徒というものは本来、もっと自発的に、自ら学びたいと思い、自ら発見するよろこびを知り、教師はそのかたわらにあって、やはり、みずから求め、みずから発見してゆくことによって、おのずから生徒に求めること、発見することの喜びをわからせるというか、その助けをしていく、……。そんな意味のことを、きみは考えているのだと思う。その点、僕は全く同感し、岩井さんも、他の心ある人も同じだと思う。ダ・ヴィンチがローソクのほのおを見て、ほのおの中では多くの物質が、絶えまなく、ほろんでゆく、燃えて、ちがう物質に変化してゆく。その猛烈な変化にもかかわらず、そうして、それを形づくっている物質は、絶えず新しいものであるにもかかわらず、何故、ほのおは同じ形をしているのか、と考えたという。人間の細胞にしてもそうだろう。 
 ダ・ヴィンチの目で見れば、世界はまるで違ったものに、生き生きしたものにかわるだろう。そのダ・ヴィンチの目は、実は、万人の目でなければならないのに、「教育」によって、人間は容易に、結論を棒暗記することになれ、何も考えず、1プラス1=2と思いこんでいる。……こんな記事が新聞にあったが、全く、同感だと思う。ロンブロゾウはそのことを言い、あらゆる学校教育を否定した。それは公教育の否定である。この心情は自分にはよくわかる。公教育というのは、権力、つまり、政治によってささえられているものだから。ただ、一切の公教育の否定なら、話はわかるが、今の公教育の否定ということは、僕にはわからない。何となれば、別の権力、別の政治力、による別の公教育でも結果は、当然同じことになる。……それに、僕はしばしば思うことがある。親はなくとも子は育つ、と。人間性の不思議だ。

 評価についてはいつかも記した。しかし、人間は神ではないから、評価ができるのではないだろうか?
 僕はなぜ教頭になったか?北園の職場会で、一位で推せんされたことが、二年続いたから。落合校長を除いてはすべての管理職と仲がよくなかったので、その方は推してはくれなかったし、自分も、推されるまでは、そういうことは考えなかった。そうして校長になった。可能な範囲で、上からの権力を防ぐことは、僕の理想にやや、というより少しでも近い、教育を守るために、努めているつもりであるが、同時に、他のあらゆる政治的な力からも、学校を守りたいという気持ちは本能的にある。政治はあらゆる分野にシントオするけれども、それを否定することは出来ないけれども、しかしあらゆる分野の下半身にのみシントオするものではないか?
 しかし僕は知っている。自分の無力を。そうして、圧しつぶされてしまいそうな、無力を。何とかして、圧しつぶされないように、もがいている。五十を超えて、人生がこんなに苦しいとは、また、迷いがますますひどくなるものとは、想像もしなかった。このごろは自分の弱さだけを意識する。
 ある意味で、きみは僕から最も遠いところにいる。しかし、ある意味では、最も近いところにいる。これは一体どういうことだろう。とまれ、だから、敢て、思っていることを述べた。
     二月十六日                   坊城
 
 僕は先生のことを思いだし、泣きながら書き写しました。