風もなく暖かい日だったので、昨日は茨城県の坂東市というところにある自然博物館を訪ねました。丸木美術館でボランティア新聞の編集長をしているKさんが前夜、我が家を訪ねてくれた際、この施設で働いていることを知ったのです。勝義さんをさそって直ちに出かけることにしました。Kさんが僕らのスケジュール案を作って待っていてくれました。
近くにある宿泊施設「あすなろの里」と共になかなかのもので、きいちご移動教室の一泊旅行の候補地としてふさわしいところです。菅生沼という自然の宝庫を中心とする生態系の学びが楽しくできるところです。沼に架かる橋を渡っていると頭上を白鳥の群が飛んでいきます。壮観。
一時間ぐらい、職員の方の案内で植物探索をしました。オオイヌノフグリの花を採ってルーペで観察しました。めしべの周りにおしべが二本。ブルーの花びらが5枚。それぞれに少し色合いが違います。自然の巧みに感動するばかりです。やはり、先達は有り難い。
茨城県立自然博物館http://www.nat.pref.ibaraki.jp/index.html
坊城俊民校長からの手紙のつづきです。日付は有りませんが、同じ日と考えられます。
追信
手紙のはじめに、「校長としては」云々と書いた。ただ、今僕が同僚だったとしても、やはり結構だとは云わなかったろう。いきり立つかも知れぬ人びとに対しては、きみを代弁したかも知れないが、きみにはやはり、もう少しおだやかな方法はないものか、といったろう。
三十年来教師をしていて、生徒に落第点1をつけた記憶はない。2もかぞえるほどしかない。2をつけないと、人びとがびっくりする生徒に、つまりほとんどやるきのない人にやむをえずつけたことはある。大たいが3以上、大部分3で、5はほんの少々だった。
つまり、評価というものを、あまり神聖視することはどんなものか。前にも書いたが、人間だから評価が出来るし、人間だから、評価を期待する。神だったら、おそらく評価はしないだろうし、神の評価は人間は受けたくないだろう。
「ドイツの悲歌」を読んだことがある?むかし、リルケはいじけているようで、自分は好かぬといったら、それには答えないで、芳賀檀さんが、だまって、自分の訳した「ドイツの悲歌」を送ってくれた。
「直視出来ないものがある。太陽と死と」とは、ラ・ロシユフコオの言葉だが「ドイツの悲歌」の冒頭も、それに近い書き出しである。「およそ天使なべて恐し」だったか。天使とは、太陽でも死でもある。人間を越えた、神性をおびた力である。
竜之介は書いている。「人生とは一個のマッチに似ている。大切にあつかうのはバカバカしい。しかし、大切にあつかわねば危険である」……これは、何か、生意気な文章であるが、とまれ、人生を考えたことのある人の言葉ではある。
啓介さんと室戸や高知を三日間あるいた。きみはそのあいだ一度も、同僚の悪口を云わなかった。個人名はあげなかった。それは見あげたことだと思った。とくにこの学校へ来て、職員が、たがいに人を入れるに厳しく、寛容さがないことに一驚した。いろんな思想、考え方の人がいても仕方がないというよりあたりまえである。どうして、もっとおおらかな気持ちで、人の意見をきけないのか、不思議だった。
僕ははじめ、僕のような校長がひとり位いてもいいのではないか、ぐらいの気持ちでいた。それは甘い考えだった。校長会でも、僕のような存在を決して許容していない先輩たちがいることが感じられた。が、僕に対しては僕が反省、対処すればいいとして、何故、ああコソコソと猜疑心が深く、頑固で、抱擁力(原文のまま)がないのだろう?そんな風に思っているうちに、そう思っている自分自身が、ズルズルと同じ次元にひき入れられそうな気がして、いくたびかもがいてはい出したが、おそろしいことだと思った。
室戸でいった言葉を覚えているか。「むかしは先生や生徒が何を言ってもこわくなかった。このごろはこわいよ」「こわい?ですか?」ときみは言った。「こわい」とは今書いたようなわけだ。そのうずにまき込まれてしまいそうになることだ。人間とは弱い者と思うよ、その意味では。
近くにある宿泊施設「あすなろの里」と共になかなかのもので、きいちご移動教室の一泊旅行の候補地としてふさわしいところです。菅生沼という自然の宝庫を中心とする生態系の学びが楽しくできるところです。沼に架かる橋を渡っていると頭上を白鳥の群が飛んでいきます。壮観。
一時間ぐらい、職員の方の案内で植物探索をしました。オオイヌノフグリの花を採ってルーペで観察しました。めしべの周りにおしべが二本。ブルーの花びらが5枚。それぞれに少し色合いが違います。自然の巧みに感動するばかりです。やはり、先達は有り難い。
茨城県立自然博物館http://www.nat.pref.ibaraki.jp/index.html
坊城俊民校長からの手紙のつづきです。日付は有りませんが、同じ日と考えられます。
追信
手紙のはじめに、「校長としては」云々と書いた。ただ、今僕が同僚だったとしても、やはり結構だとは云わなかったろう。いきり立つかも知れぬ人びとに対しては、きみを代弁したかも知れないが、きみにはやはり、もう少しおだやかな方法はないものか、といったろう。
三十年来教師をしていて、生徒に落第点1をつけた記憶はない。2もかぞえるほどしかない。2をつけないと、人びとがびっくりする生徒に、つまりほとんどやるきのない人にやむをえずつけたことはある。大たいが3以上、大部分3で、5はほんの少々だった。
つまり、評価というものを、あまり神聖視することはどんなものか。前にも書いたが、人間だから評価が出来るし、人間だから、評価を期待する。神だったら、おそらく評価はしないだろうし、神の評価は人間は受けたくないだろう。
「ドイツの悲歌」を読んだことがある?むかし、リルケはいじけているようで、自分は好かぬといったら、それには答えないで、芳賀檀さんが、だまって、自分の訳した「ドイツの悲歌」を送ってくれた。
「直視出来ないものがある。太陽と死と」とは、ラ・ロシユフコオの言葉だが「ドイツの悲歌」の冒頭も、それに近い書き出しである。「およそ天使なべて恐し」だったか。天使とは、太陽でも死でもある。人間を越えた、神性をおびた力である。
竜之介は書いている。「人生とは一個のマッチに似ている。大切にあつかうのはバカバカしい。しかし、大切にあつかわねば危険である」……これは、何か、生意気な文章であるが、とまれ、人生を考えたことのある人の言葉ではある。
啓介さんと室戸や高知を三日間あるいた。きみはそのあいだ一度も、同僚の悪口を云わなかった。個人名はあげなかった。それは見あげたことだと思った。とくにこの学校へ来て、職員が、たがいに人を入れるに厳しく、寛容さがないことに一驚した。いろんな思想、考え方の人がいても仕方がないというよりあたりまえである。どうして、もっとおおらかな気持ちで、人の意見をきけないのか、不思議だった。
僕ははじめ、僕のような校長がひとり位いてもいいのではないか、ぐらいの気持ちでいた。それは甘い考えだった。校長会でも、僕のような存在を決して許容していない先輩たちがいることが感じられた。が、僕に対しては僕が反省、対処すればいいとして、何故、ああコソコソと猜疑心が深く、頑固で、抱擁力(原文のまま)がないのだろう?そんな風に思っているうちに、そう思っている自分自身が、ズルズルと同じ次元にひき入れられそうな気がして、いくたびかもがいてはい出したが、おそろしいことだと思った。
室戸でいった言葉を覚えているか。「むかしは先生や生徒が何を言ってもこわくなかった。このごろはこわいよ」「こわい?ですか?」ときみは言った。「こわい」とは今書いたようなわけだ。そのうずにまき込まれてしまいそうになることだ。人間とは弱い者と思うよ、その意味では。